序章


少女は町外れの小さな村で生まれた。

少女は村の人々とは違った。

少女は髪が美しい橙色だった。

少女は瞳が美しい紫色だった。

少女は首筋に蓮の華が咲いていた。

少女は腹部に蓮の華が咲いていた。

少女は・・・・・村人に忌み嫌われた。


少女は 今 暗い暗い、森の中。





    第一章

               少女−8歳

バシッ!ドカッ
乾いた音がその場に響いた。次に鈍い音がその場に響いた。
部屋の中には大人が数人。少女が一人。
親はいない。自分を生んだ瞬間に叔母さんに押し付けて両親は逃げた。 ・・・と聞いている。
思い出しているうちに少女の小さくて細い体が床に叩き付けられる。
苦しそうに呻き声を上げる少女のことなど誰一人として助けない。助けようともしない。
村を歩けば化け物だと騒がれ、石を投げられ、家に帰れば叔母さんに出て行けと言われ寝室に逃げ込み一息吐いたと思ったらこの有様だ。
少女は人と違った。
橙色の髪、紫色の瞳、首筋にあるタトゥー、腹部の焼印、桁外れの身体能力。
少女が持つのは、全て村人と違う物。
本来、愛されるほどの美しい容姿を持つ彼女。だが村人は少女を忌み嫌った。
理由は無い。ただ村人と違うから嫌った。
それだけだった。

「お前なんざとっとと消えちまえ」
「お前一人居なくなったって何も困らないんだよ」

そんな言葉をボロボロの少女に吐き捨て、大人たちは家を出て行った。

「そんなの僕だって知ってるよ」

少女はぽつりと呟いた。 少女は子供だが心は子供ではなかった。
自分が愛されていないことなど既にわかっていた。
そしてそれに理由が無いことも。

「僕だって、好きで生まれてきたわけじゃないのに」

自虐的なそんな言葉ももう彼女には殆ど意味を持たないものになった。
少女は大人たちのせいで、子供らしい心を失った。
笑うこともなければ、泣く事も無い。
喜ぶこともなければ、悲しむことも無い。
いや、既に心など失ってしまったのだろうか。
少女の口から言葉が零れるのは一人の時だけ。
唯一心を許せるのは森に住む動物たち。

「・・・会いに行こう」

少女の心の中に昨日も遊んだ森の動物達の姿が浮かび、少女は立ち上がった。
そして窓を静かに開ける。
少女はいつも窓から出かけていく。大人たちに見つからない確立が高いからだ。
窓枠に細い足を掛けるとひょいと体を持ち上げ、窓枠に立つ。
そして隣の家の屋根へぴょんと飛び乗った。その途中で黒猫を見つけた。
黒猫は少女を見つけると足に擦り寄り、甘えるような声を上げた。

「お前は可愛いね。それに、温かい」

少女は笑みを浮かべ、黒猫の頭を撫でた。
動物達と共にいれば少女の失われた感情は返ってくるのだった。

「じゃあね」

黒猫の背中をひと撫でして少女は歩き出した。
まるで猫のように屋根から屋根を飛び移り、森を目指した。
少女は数十分掛けて森へ到着した。
そして大人でさえも怖気づいてしまいそうな暗い森の中へ足を踏み入れた。
少し奥へ進んでいくと、先程まで青かった空が曇り始めた。

「雨、降るかな」

空を見上げて少女は言った。
その時突然少女の背後に大きな熊が現れた。
熊は両手をバッと広げて少女にそろりそろりと近付く。
やがて2メートル近くなると、一気に駆け出した。
少女がバッと振り向く。それと同時に熊が彼女に飛び掛った。

「わぁっ?!」

熊と共に地面に倒れこむ少女。

「あ・・・っははは!くすぐったいよ!」

すぐに少女の明るい声が零れた。熊は嬉しそうに少女の頬を舐めていた。
するとその声を聞きつけてか森の動物達が集まってきた。
兎も狐もアライグマも鹿も猪も鳥も・・・。
いつもなら弱肉強食と言わんばかりに狩りを行う動物達も彼女の前では嬉しそうに仲良く触れ合うのだった。

「皆、おはよう」

おはようというには怪しい時間だったがとりあえず挨拶をしておく。
その時少女の頬にぽつりと水滴が落ちてきた。
未だ曇っている空を見上げると、ぽつりぽつりと少しずつ雨が降り出していた。

「君の家に行っても良い?」

自分の前に居る熊に少女は問いかける。
熊はこくりと頷くと、近くに居た馬が擦り寄ってきた。

「乗れってこと、かな」

今度は馬がこくりと頷いた。
少女が慣れた動作で馬に飛び乗る。

「よし、いいよ」

少女の言葉に熊と馬は大きく雄たけびを上げると走り出した。

「皆は自分の家に行って?雨が上がったらまた遊ぼう」

少女が優しく言う。
すると他の動物達は自分の巣穴へ戻っていった。
馬は、熊の後に続き、走り続ける。
走り続けていくと大きなかまくらのような岩が姿を現した。
そこに熊が入っていく。少女も馬から降り、中へ入る。

「入らないの?」

入り口の近くで足を止める馬に少女が問う。
熊は恐怖の対象である馬にとって、流石に躊躇しているのだろう。

「大丈夫。寒いでしょ?おいで」

少女が手招きをすると馬は恐る恐る中へ入る。
勿論少女にピッタリくっついて。
中には小さな小熊が居て、少女を見つけるとよちよちと近付く。
少女はしゃがんで、そっと手を伸ばした。
すると小熊は少女の手に頬を摺り寄せて嬉しそうに小さく声を上げた。

「ここは、いつ来ても温かいね」

小熊を抱き上げ、隅に座り込む少女。その近くに熊と馬も座った。
少女はふと外に目をやった。
外はまだ土砂降りだった。しばらくは止みそうに無い。

「今日は野宿かな」

度々あったのだ。
どうせ家に居て大人が来るのを待つより、誰にも見つからない場所にいたほうが安全だ。
何より、自分の家なんかより森にいる方がよほど温かい。
食べ物なんかは自給自足だが、家に居れば出ない時だってある。
というか殆どの確立でご飯なんて出してもらえない。
それを考えれば、いっそ森の中でサバイバル生活をする方が楽しそうだ。
膝の上に乗る小熊の背中へ顔を埋める。
ふんわりしていて心地良い。

「・・・寝ても、いい?」

うっすらとした意識で問いかける。
すると小熊が膝の上で丸まるのがわかった。
隣で馬と熊も体を伸ばして頭を下げる。

「おやすみ」

呟いて、少女も丸い瞳を閉じた。


何時間寝ていたのだろう。
起きた頃には雨は上がっていたが空は真っ暗だった。

「ふぁ・・・」

小さく欠伸を零して少女は閉じていた瞳を開けた。
目をごしごしと擦り、膝の上の小熊を撫でる。
すると小熊は目を開けて少女を見上げた。

「ごめん、起こしちゃったね」

少女は小熊を膝の上から下ろし、隣で目を開けた親熊の近くへ置いた。
そしてニコリと微笑むと、のそりと起き上がった馬と共にそっと巣穴を出て行った。

「またね」




少女は森を歩きながらそっと空を見上げた。

「わぁ・・・綺麗」

家に居るときは外を見上げる余裕なんてなかった。
夜空はこんなにも綺麗なものだったのか。少女は嬉しそうに微笑んだ。

「どうしよう、帰ろうかな」

ここまで来てしまったのだ。帰るほかに術は無いだろう。
先程まで一緒だった馬とも別れてしまったし。
面倒であまり乗り気ではなかったが少女は仕方なく帰路へと着いた。
来た時と同じように屋根から屋根を飛び移り、自分の部屋へ潜り込もうとする。
しかし、その前に少女の足は止まった。
部屋の中には、沢山の村人達がいたのだ。
全員土足で入り込み、ガラスを割ったり襖を蹴ったり好き放題している。
きっともうあの部屋は使い物にならない。
思わず少女は小さく舌打ちをする。そしてついに覚悟を決めた。
少女は見つからないように自分の家の屋根の上へと飛び移る。
次に自分のボロボロになった白いワンピースを千切り、指をプツッと噛み切る。
血が滲み出るのを確認すると、千切った布へ血で"サヨナラ"と一言書く。
掠れたが、まぁ読めるだろう。
少女はそれを丸めると、家の中へ放り込んだ。

「じゃあね、もう会うことは無いよ」

二度と会いたくも無いしね。
そう少女は呟き、屋根の上から姿を消した。
少女は森に住むつもりだった。
だが、森の入り口の前で足を止めた。遠くから沢山の足音が聞こえたのだ。
大人たちが自分のメッセージに気付き、追ってきたのだ。

「アイツ等・・・黙って喜んでおけばいいものを」

少女は怒りが湧き上がってくるのに気付いた。
思わず自嘲気味に笑う。
今まで自分の中にあった感情なんて全て消え去ったものだと考えていた。
だが、まだ少女の中に感情はあった。

「いたぞ!」
「テメェ、ふざけやがって!」
「今までアンタをここまで育てたのは誰だと思ってるのよ?!」

少女はくるりと振り向いた。表情は無い。
黙っている少女を尻目に大人たちは彼女に次々と罵声を浴びせる。
その時、顔を下に向けていた少女が顔を上げた。
目の前で文句を言い続ける大人たちを睨みつける。
少女からは殺気が見て取れた。

「喧嘩売ってやがるのか、クソガキが!」

一人の男が少女へ近付き、手を振り上げた。

「ちょっと黙ってくれる?」

少女はそれを素早く避けると男の腹部へ拳を叩き込んだ。
力なく男が地面に倒れ伏す。

「何も抵抗できないクソガキだと思ったら・・・・大間違いだよ」

少女の声が辺りに響く。
しんと静まり返り、少女への罵声もピタリと止まった。
そしてその数十秒後、突然村人達が頭を下げ、謝ってきた。
少女の目が見開かれる。
人間なんて所詮そんなモノなのか。
自分に被害が無ければいいのか。
転がっている村人の心配もしないのか。
僕に、攻撃してこないのか。
少女はあきれ返り、もう怒りすらどこかへ吹っ飛んで行った。

「下らない」

そう一言吐き捨てた少女はその場から姿を消した。
少女は"人間"を知った。



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