第二章


少女は行く宛ても無く、ただふらふらと歩き続けていた。
今まで村から出たことのない彼女に行く宛てなどあるはずがないのだが。
その時、小さな森を見つけた。 野宿をするには快適そうな森だ。
丁度良い、と少女は呟いて森へと足を踏み入れた。
森を歩いていくと馬車が通れそうな少し大きな道が現れた。

「あれ・・・?」

少女は道の途中で大きな布が落ちているのを見つけた。

「何だろう、これ」

それを拾い上げると布ではなく外套なのだと言う事に気付く。 多少汚れているが着れない事は無い。 誰かが落としたのだろうか。
少女は悪いと思いながらもそれを羽織りフードを深く被った。
その大きな外套は少女の足首まで届き、フードは少女の髪と顔半分をすっぽりと隠した。

「少し、借ります」

少女はそっと呟くと森の中を再び歩き出した。
その時サァッと風が吹き、ふわりと外套と前髪を揺らした。

「温かい・・・」

裏側から外套をぎゅっと強く握り締めた。
すると少女は自分が空腹になっていたのに気付く。
そこで近くにある木に生っている木の実を手に取り、口へと運んだ。 木の実は熟していて甘酸っぱかった。
しばらく木の実の味に浸っていると、前方に人影を見つけた。
少女は反射的に太い木の後ろに身を隠した。 音を立てないようにフードを先程よりも深く被る。
何をしているのかはわからないが、辛うじて人影の正体は青年なのだということはわかった。

(何してるんだろう・・・)

背を向けている上に距離があるので良くわからない。
もう少し、そう少女は呟き一歩踏み出した。・・・だが、それが間違いだった。


パキッ


地面に落ちていた木の枝に気付かなかった。
しまった、と考えたときにはもう遅い。
青年は音を聞きつけ、くるりとこちらを向く。 少女は素早く木の裏にもう一度隠れた。
姿は見られていないはず。 だがここにいてはすぐに見つかってしまう。
その時、突然頭にズキリと頭痛が走った。
思わず顔を歪め、己の額へ手を宛う。 額は熱を帯びていて、何だか視界も霞んで来た。

(こんな時に・・・!)

少女は自分を恨んだ。
今は晴れているが、実は先程まで雨が降っていた。 それに散々当たっていたのだ。風邪を引いてもおかしく無いだろう。
だがよりによってこのタイミングで・・・!

「そこにいるのは誰だ?」

低くて鋭い声が辺りに木霊する。
ザクザクと木の葉を踏みしめて歩く音が聞こえる。
どうやってこの場を切り抜けようか。 だが今はそんなのを考えている余裕はなかった。 頭痛が酷すぎて頭が働かない。
少女は考えるのを止めてその姿を晒した。
彼女の姿を核にした青年は思わず目を見開いた。
見た感じからしてこの子は小さな子供だ。 だがフードを深く被り、すました様子のこの子は今独り。

「何処から来たんだ?親は?」

青年が少女に問いかける。 親どころか兄弟や友人すらもいない様子だ。
少女は頭痛に耐え、普段と変わらない凛とした声で答えた。

「親なんて居ない。一人で来た」

青年は再び目を見開いた。
明らかに自分よりも小さいこの子が、一人でこの森の中に入ったというのか。 声からして・・・少女だろうか。 どちらにしても放っておけないのは確かだ。

「なぁ、一人なら・・・俺の家に来ないか?」
「何をふざけたことを・・・どこの誰かもわからない奴を家に招き入れるというのか?」

青年の言葉に少女は視線を逸らし、空を見据える。

「同情なんて下らないことはしてくれるなよ」

少女は青年に冷たく言い放った。
しかし青年は諦めなかった。

「同情なんざしてねぇ。ただ放っておけないんだよ」
「それが同情と言うんだ」
「違ぇって。とりあえずついて来いよ。飯くらい食わせてやる」

青年は笑みを浮かべ、少女に手を伸ばした。

「ッ・・・触るな!!」

少女は伸ばされた手をパチンッと弾いた。
その時青年はフードの隙間から見えた少女の頬が赤く紅潮しているのに気付いた。
バッと青年から距離をとる少女。 だがふらふらと足取りは覚束ない。 逃げ出そうとするも、視界は霞んで前も後ろも良くわからない。
おまけに体が上手く言うことを利かなかった。

「僕に、近付くな!」

そう少女は叫ぶ。 だがそれが限界だった。 視界が暗くなると同時に体がぐらりと傾く。
しかし地面に倒れ込んだような固い感触は無い。 その代わりにふんわりと包み込むようなぬくもりを感じた。
辛うじて残っている体力を使い、少女は目をうっすらと開ける。 目の前には、青年の顔があった。
遠く離れたはずなのに、いつのまに近くに来たのか青年は少女の体を支えていたのだ。

「大丈夫か?」
「離せ・・・近付くなと、言ったはず、だ」
「目の前で倒れた奴を放っておくバカがどこにいる?」
「少なくとも僕の知ってる大人は、僕には皆・・・そうだった」

青年は再び目を見開いた。 全てを悟ったわけではないが、この少女は多分・・・・かなり辛い過去を負って生きている。 そう感じた。
だがすぐに微笑み、フード越しに少女の耳元で囁いた。

「今は寝ろ」

少女はその言葉に思わず目を瞑った。 悔しいと思いながらも、何故だか温かいと感じる自分がそこにいる。 自虐的な笑みを浮かべて少女は深い眠りに落ちた。




少女は小さな音に目を覚ました。
ここは何処だろう?
自分が寝ているのはふわふわのベッド。 布団も暖かく、ほんのりと石鹸の匂いがして心地良い。
だがまだ頭痛は治まらず、全身が熱い。

「起きたか」
「?!」

突然聞こえた声に思わず身構える。 声のした方へ目を向けると、先程の青年が居た。

「同情はいらないと、言ったのに」
「同情なんざしてねぇって何度言ったらわかるんだ?」

くつくつとおかしそうに笑う青年に少女はムスッとした表情を浮かべた。
その時、少女は自分が外套を着ていないことに気付く。

「っ貴様!外套は何処へやった?!」
「あぁ、あれか?今洗濯中だ。随分汚れてたからな」
「勝手なことを・・・!」
「薄汚れたのを着続けるよりいいだろ?」

少女は更に苛立ちを覚えた。
こいつと話していると調子が狂う。 まだ体は熱いが、さっさと出て行くとしよう。 そう思い、少女は体を起こした。
だがベッドから降りることは許されなかった。

「まだ寝てろ。熱下がりきって無いだろ」
「貴様には関係ない」
「関係無くない」

青年の肩を押され、少女はもう一度ベッドへと倒れこんだ。

「大体、貴様は僕の何なんだ!さっき会ったばかりなのにこんなこと・・・一体何を企んでいる?!」
「何も?ただ自分が正しいと思ったことをしてるだけだ」

威嚇し続ける少女に、青年は明るく微笑む。
少女は彼と話していては埒が明かないと考え、無言で目を閉じた。 すると青年も口を閉じ、静かにその場に座っていた。
数分後、少女は強い視線を感じて再び目を開けた。 青年がこちらをじっと見ていたのだ。

「何だ、用があるのなら言え。内容によっては殴るけどな」
「いや・・・特には無いんだけどさ、髪が」
「あぁ、これか?気持ち悪いだろう?両親は黒なのに僕だけ橙色なんだ」

少女はもうどうでも良くなって、鬱陶しいくらい長い自分の髪を握り締めた。 切ってしまえば良いのだろうが、何故か本能が拒否していたので切らなかったが。
言った後に少女は青年の反応を待った。 きっとコイツも同じだ。 他の人間と。
しかし青年から掛けられた言葉は意外なものだった。

「違ぇよ。綺麗だなって思ったんだ」

少女はその言葉に目を見開いた。

「あと目も、鮮やかで綺麗だ」

今コイツは僕に何と言った?綺麗? 村の人間から忌み嫌われた僕の髪と目を、"綺麗"だと?

「お前の考えは、良くわからない」

少女はどうしていいのかわからなくなり、そっぽを向いた。
今まで言われたことの無い言葉。 向けられたことの無い笑顔。 優しい温もり。
全て、彼女が"人から"初めて貰ったものだった。

「折角綺麗なんだから、こっち向けよ」
「う、うるさいっ!」

頬が先程より熱くなるのがわかった。
青年はそんな少女の横顔を見つめた後、スクッと立ち上がった。

「腹減ってないか?何か食いモン持ってくるよ」

部屋から青年が出て行く。
少女は絶好の機会だとベッドを抜け出そうとした。 しかしそれを拒む自分も居た。 青年のぬくもりに、もう少し触れていたいと願う自分がいた。
どうしようと悩む少女。
すると少女の悩みを断ち切るかのように、突然少女の頭に激しい頭痛が走った。

「痛・・・ッ」

起こしていた体が痛みに耐えられずにベッドに倒れこむ。 少し目を閉じていると頭痛はまだしているが、少しだけ良くなった。

「もう少し、だけ・・・」

少女はそう自分に言い聞かせ、青年が帰ってくるのを待った。

数分後、青年はすぐに帰って来た。

「おまたせー」
「待ってない」

本当は少しだけ寂しかった。 だがそんなこと口に出来るはずが無い。 少女は自分の感情を押し殺した。

「今母さん出かけてて・・・こんなのしかないけど」

青年は手に持ったスプーンでそれを掬い、少女の口元へ持っていく。

「・・・何だ、その白くてグチャグチャしたのは」
「お粥だけど?」

聞いた事の無い単語に少女は首をかしげた。

「食ったこと無いのか?」

少女はこくりと頷いた。
食ったこと無いも何も、今まで少女は主に自給自足だった。 魚を殺して食べるという弱肉強食な精神は無かったので木の実や果実くらいしか食べたことは無い。

「まぁいいや、とりあえず食え」
「いらん」
「即答?!」

残念そうな青年に追い討ちをかけるかのように少女は口を開いた。

「毒が入っていては困る」

それを聞いた青年はお粥を一口食べた。 数回噛み、ごくんと飲み込んで少女に笑みを向ける。

「毒なんざ入って無いぜ。俺を見ればわかるだろ?俺が毒見したから大丈夫だ、安心しろ」

そういい、もう一度お粥を少女の口元へ持っていく。

「これで死んだら一生恨んでやる」
「だから死なないって・・・」

呆れたように微笑む青年を睨みつけつつ、少女はお粥を一口食べた。

「どう?」
「・・・・・・・・・・美味い」
「マジ?!やった、嬉しい」

青年は嬉しそうにニカッと微笑んだ。

(・・・・ということはこの"おかゆ"とやらはコイツの手作りだったのか)

少女が考えを巡らせる中、青年はまたお粥を口元に持って行った。 彼に目をやると相変わらずニコニコと微笑んでいる。
何かむず痒いものを感じつつ、少女はお粥を口に含んだ。
その後、少女はお粥を全て食べきった。

「ほら・・・水、飲むか?」
「水くらい自分で飲める」

差し出されたコップを受け取り、一気に喉に流し込む。

「・・・っはぁ、」
「そんなに喉渇いてたのか?」
「ち、違う!」
「はははは、照れるなって」

少女はコップを乱暴にテーブルに置く。
そんな少女に、青年は相変わらず優しい笑みを向けて、頭を撫でた。

「何をしている」
「撫でてる」
「そんなの見たらわかる!」

少女は青年の手を振り払おうと・・・したのをやめ、恥ずかしそうに毛布を握った。
頬が火照る。
だがそれと同時に嬉しいとも感じた。 自分を包み込む、大きな手と存在。 安心できる。
恥ずかしさはまだ消えないが、少女はゆっくりと目を閉じた。
青年はそんな様子の少女を見てまた嬉しそうに微笑んだ。





「そういえばお前名前は何ていうんだ?」

青年の言葉に少女は閉じていた目を開いて、一言「無い」と断言した。

「無い・・・って、どういう・・・」
「そのままの意味だよ。親は僕に名前を付ける前に消えたんだ」

青年はもう一度、少女の髪を撫でて一人で頷いた。

「うん、よし。じゃあ俺が名前をつけてやる!」
「・・・・はぁ?」
「俺の名前は珠希。で、お前は・・・」

少女が聞くまでも無く青年−もとい珠希は一人で悩み始めた。

「お前は、"舞姫"だ!」
「舞姫?」
「あぁ!お前の容姿にピッタリだ!」
「まい、ひめ・・・まいひめ・・・舞姫・・・」

少女は名前をぽつりぽつりと呟き始める。 そして次に、嬉しそうに笑った。

「ありがとう」

珠希は初めて見る、少女もとい舞姫の笑みに頬が紅潮するのがわかった。
しかしすぐにそんな感情は取り払い、舞姫に向かって微笑んだ。

「お前はこれから、俺の家族だ」
「家族・・・?」
「そう、家族。母さんには俺から説明する」

珠希はそう言い、自分の胸を叩いた。

「だから・・・一緒に暮らそう?」

その言葉に舞姫はもう先程までの警戒心など全て取り払い、思わず珠希に抱きついた。
突然のことに珠希も受身が取れず、二人で床に倒れ込む。

「嬉しい!ありがとう・・・・・・お兄ちゃん」

心底嬉しそうな表情の舞姫に、珠希も嬉しそうに微笑んで彼女の背中へ手を回した。
その時、珠希は舞姫の肩が震えているのに気付いた。

「・・・舞?」

珠希はよっこいしょと呟きながら上半身を起こした。 すると珠希の膝の上に舞姫が乗る形になる。 珠希が舞姫の顔を覗き込むと、その丸い瞳からは涙が流れていた。

「嬉しいのに・・・涙、が・・・止まらない、の・・・どう、したら・・・いいの・・・?」
「どうもしなくていいさ」
「どうして・・・?」
「それは当たり前のことだから」

珠希は舞姫を強く、だが優しく抱き締めた。
今まで感情を表に出さず、人前で笑うことも悲しむこともしなかった彼女。
そんな彼女の中に溜まっていたモノが、弾けた。

「う、うわぁぁああん!」

声をあげ、珠希の腕の中で泣き続ける舞姫。
珠希はずっと彼女の頭を撫で続けていた。




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