第四章




   あれから、珠希が帰ってくる日の前日まで龍弥と拓人と遊んだ舞姫。

   だが今日は残念ながら一緒に遊べない。
   今日は珠希が帰ってくる日なのだ。
   そのせいもあるのだろうが、何だか朝から気分が良かった。
   帰ってきたら思いっきり飛び込んでやろう。
   そんなことを考えながら舞姫は二階から降りていった。



   「あら、おはよう舞・・・ふふ、今日は気分が良さそうね♪」



   來羅がにっこりと微笑んだ。
   今回ばかりは來羅の言葉を否定できなかった。

   珠希が帰ってくるのは午前中だ。
   本人の話では10時までには帰ってくるとの事。
   実際はどうかわからないが、とにかく楽しみで仕方がなかった。
   朝ごはんを食べて、歯磨きをして、顔を洗って・・・。
   それからどうしたっけ?覚えていない。
   珠希に会える。ただそれしか頭の中に無かった。



   「お母さん、買い物に行って来るわ」

   「え?」

   「出来たらお兄ちゃんのお出迎えしたかったんだけど、今日バーゲンなのよ」



   残念だわと呟くその言葉とは裏腹に、全く残念そうに見えない來羅。
   それどころか何だか楽しそうに笑っている。



   「そうなの?いってらっしゃい」

   「えぇ、行ってくるわ。・・・・すぐに帰ってこない方がいいかしら?」

   「もう!母さん、冗談はやめてよ!」



   舞姫は來羅の言葉に頬を紅潮させながら言った。



   「僕とお兄ちゃんは兄妹なの!」

   「はいはい♪」

   「ちゃんと聞いてる?!」



   來羅はニヤニヤと笑みを浮かべたまま出掛けて行った。

   溜息を吐きながら舞姫はぼふんとソファに座り込む。
   そして近くにあるクッションをぎゅうっと思いっきり抱き締める。
   もふもふして暖かい。
   舞姫は心地良さに思わず瞳を閉じた。
   その後、すぐにリビングからは規則正しい寝息が聞こえ始めた。





   彼女が眠りに就いた数分後、家のチャイムが鳴った。
   チャイムを押したのは、帰って来た珠希だった。



   「・・・居ないのか?」



   珠希はポケットから鍵を取り出し、ガチャリと鍵を開けて家に入る。
   リビングに足を踏み入れた珠希はふっと微笑んだ。



   「全く・・・随分無防備な奴だな」



   すやすやと幸せそうな顔で眠る舞姫を見つめる珠希。
   やがて頬にキスを落とした。



   「ふみゅ・・・」



   本当は口にしたい。
   そんなこと本人の前で言った日には本気で蹴られそうだが。

   最初の内は舞姫を可愛い妹としてしか見ていなかった。
   だが最近、彼女を"只の妹"には見えなくなっていることに珠希は気付いていた。

   くすぐったそうにする舞姫に愛しさが込み上げて来て、抑え切れずに、思わず口に触れるだけのキスを落とした。
   すると舞姫はくすぐったそうな仕草を見せて、薄っすらと目を開けた。
   バレたかと一瞬焦ったが、気付かれてはいないらしい。



   「むぅ・・・おに、ちゃ・・・?」

   「ただいま、舞」



   潤んだ瞳で珠希を見上げる舞姫。
   すると、だんだん意識が戻ってきたのか表情が輝き始めた。



   「おかえりっ!」



   舞姫は嬉しそうに微笑んだかと思うと珠希に思いっきり飛びついた。
   突然のことに珠希は受身が取れず、二人一緒に後ろへ倒れこんだ。
   ・・・なんか、結構前にもこんなことあったような。

   上半身を起こした珠希は、膝の上に乗る舞姫を全力で抱き締めた。



   「んにゅ?!・・・お、にいちゃ・・・」

   「あぁあぁああぁ、お前マジ可愛すぎる食いたい」



   頬を紅潮させる舞姫に珠希は頬ずりをする。



   「お兄ちゃん、くすぐったいよっ」



   赤くなってはいるが舞姫も満更では無さそうだ。
   そのうち、おずおずと背中に手を回した。



   「おかえり・・・会いたかった」

   「うん、俺も」


   耳元で囁いて、お互いに笑い合った。
   その時、運悪くリビングに來羅が入ってきた。



   「あらあら、お邪魔だったわね」

   「か、母さん・・・」



   颯爽と部屋へ入ってきた來羅。
   舞姫は更に顔が紅潮するのがわかった。

   すると突然珠希が舞姫の手を引き、立ち上がった。



   「ちゃんとお土産買ってきたんだぞ!」

   「え・・・?」



   舞姫は二階へと強制連行されていく。
   後ろで楽しそうな來羅の笑い声が聞こえた。

   二階へ上がり、珠希の部屋へ入ったかと思うと目の前に小さな箱がずいっと出された。



   「?」



   その箱を開けると、中に入っていたのはブレスレットだった。
   銀色で龍を模った軽い装飾が施され、真ん中に紫色のビーズが入っているというシンプルなものだ。



   「俺とお揃い♪」



   珠希は自分の右腕を見せた。
   そこには同じ装飾が施されたブレスレッドがある。
   だがペアルックなのか、ビーズの色が紫色ではなく、黒だった。



   「すっごい嬉しい・・・ありがとう」



   珠希は満面の笑みを浮かべる舞姫の頭を優しく撫でた。



   「大切にするね」









少女−12歳

   「え・・・兄ちゃん、今、何て言った?」

   「俺、家出るよ」



   珠希が呟いた言葉に舞姫は絶句する。

   あれから2年の月日がたち、一緒に暮らすようになって4年が経っていた。
   舞姫は14歳、珠希は18歳になっていた。



   「何で、何で急にそんなこと・・・?!」

   「強くなりたいと思ったから」



   珠希の言葉に舞姫は体が強張るのを感じた。

   今まで彼女の中では、兄である珠希はいつも大きくて強く見えた。
   色々な面で憧れの存在だったのだ。
   これ以上どう強くなるというのだろうか。

   それによくよく考えれば、"家を出る"ということはしばらく会えなくなるということだ。



   「そんなの・・・嫌だよ・・・」



   舞姫は珠希に抱きついた。



   「何で?!兄ちゃんはいつも強くて格好良くて・・・っ」

   「舞・・・」

   「嫌だ、行かないで・・・離れるのなんて嫌だよ!」



   今まで暮らしていて誰かが守れなかった、そんな体験をしたことはないはずだ。
   何度か街のゴロツキと喧嘩になることもあったが、全て完勝だった。



   「 お前を、守れるようになりたい 」

   「?!」



   珠希は決意をしたような目で舞姫を見つめた。
   どうして?何で? 頭の中が混乱する。



   「お前・・・・4年前、一人で不審者退治したんだってな」



   彼の言葉に舞姫は目を見開いた。

   その話は誰にも言って無いはずだ。
   來羅にも話していないし、マスコミが来た様子も無かった。
   どうして知っている?
   すると珠希は心を見透かしたかのように言った。



   「ダチが言ってたんだよ。オレンジ色の髪の少女が変質者退治してる現場を見たってな」



   友達、から・・・?
   そういえば後から集まってきた人たちの中に珠希と同じくらいの人たちもいたような気がする。
   珠希が通っている中学の制服とは違ったので特に気にしなかったのだが、運悪く高校で一緒になってしまったらしい。



   「当時は忘れてたらしいんだが、昨日思い出したように話されたよ」



   珠希は悲しそうに瞳を揺らす舞姫をそっと抱き締めた。



   「お前が家に帰って来なかったのは、俺達じゃどうしようもないと思ったからじゃないか?」

   「!!」



   違う、ちがう、チガウ。
   あの時は近くに龍弥と拓人が居たから、守りたい一心だった。
   それに放っておいては他の人が被害に遭うかもしれない。
   被害の拡大を避けたかっただけだ。



   「そんな・・・兄ちゃんを頼りにしてなかったわけじゃない!寧ろいつも頼りに・・・」

   「でもな、舞」



   珠希は舞姫の唇に指を押し当てた。
   その行動で舞姫は口をつぐむ。



   「俺からすればその時に駆けつけて助けてやりたかった。気付いたんだ。こんなとこでダラダラしてたら、お前どころか何も守れないって」

   「だからって、家を出なくても・・・!」

   「それくらいの覚悟が無きゃダメだ」



   珠希はニッと微笑んだ。



   「安心しろ、すぐに帰ってくるさ」

   「馬鹿・・・安心なんて、できるわけないだろっ!」



   いい加減、涙が零れ出そうだ。
   何で彼はいつもいつもそうなのだろうか。

   珠希の胸板をぽかぽかと拳で殴る。勿論本気ではないが。



   「バカバカバカバカっ!兄ちゃんの馬鹿ぁ!!」



   ぼろぼろと舞姫の目から大粒の涙が溢れ出てきた。



   「舞、泣かないでくれ」



   珠希は彼女の涙を指の腹で拭う。
   そして頬にキスを落とした。
   その行為のせいで、舞姫の瞳から溢れ出る涙は止まらなくなる。



   「こンのバカ兄貴ッ!」

   「ま、舞ちゃーん?口が悪いんですけど・・・」

   「知らない、そんなの!」



   驚く珠希を他所に、舞姫は何とか涙を止め、頬についた涙の跡を乱暴にぐいっと拭った。



   「じゃあ僕・・・いや、俺!兄貴よりも強くなる!絶対!」

   「・・・んじゃあ俺はもっともっと強くなってやる」



   ぐっと手を握る舞姫に、珠希はニヤリと笑って言った。
   それから二人で同じように微笑む。



   「俺さ・・・お前のこと、    」

   「え?」



   耳元で小さく呟かれた言葉。
   だが、小さすぎてハッキリと聞こえなかった。



   「聞こえないよ・・・もっかい言って?」

   「俺がお前より強くなったら、もう一回言ってやる」



   珠希はそういい、舞姫の額と頬に一回ずつキスをする。

   もはやこの行為は二人の挨拶のようなものになっていた。
   多少恥じらいはあるが、嬉しさの方が強いというのが本音だ。



   「また会った時は・・・・・・口に、しても良いか?」



   珠希が頬を少し紅潮させながら舞姫に聞いた。



   「構わない」



   本当は今すぐしても良いんだけど・・・・。
   そう思ったが、とりあえず言わないでおいた。



   「本当に、言っちゃうの?」

   「あぁ・・・ごめんな」

   「謝らないで、俺は大丈夫」



   舞姫は今更になって素直に謝る珠希を抱き締め、彼の頬にキスをした。



   「今度は、俺から」

   「・・・!」



   恥ずかしそうにはにかむ舞姫。
   いつもキスはされる側だったからだろう。



   「ところで・・・母さんには、何て言うんだ?」

   「あ・・・」



   考えてなかったのか。
   焦るような表情を見せる珠希に、舞姫は溜息を吐いた。

   その時、リビングのドアがガチャリと開いた。



   「いってらっしゃいな」



   そのドアの先にいたのは來羅だった。
   來羅はニコリと微笑み、こちらを見つめている。



   「母さん・・・」

   「アナタは昔からそうだったわ。一度言ったらもう考えは変えないものね」



   ふぅ、と溜息を吐きながら來羅は続けた。



   「舞を連れて来た時もそう。何が何でも一緒に居るって。家に置いてくれないならこいつと一緒に出て行ってやるって言ってたわね」



   驚いた。
   そんなことを言っていたのか。
   來羅を説得する場面を見ていなかった舞姫は、目を見開いた。
   見知らぬ小さな餓鬼を何故そこまで・・・?
   いや・・・・今深く考えるのはやめよう。
   きっと、本人がいつか話してくれるだろう。



   「大切な人を守りたい、か・・・ふふ、あの人と同じコト言うのね」

   「当たり前だろ。俺はソイツの息子なんだからさ」



   舞姫は珠希の父親には会ったことは無い。
   聞いた話では、珠希の父親は昔に今の珠希と同じように修行に出たらしい。
   本当に親子そっくりなのだ、と舞姫は思った。



   「じゃあ・・・・行って来るよ」



   珠希は最後にニカッと笑みを浮かべて家を出て行った。




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