第五章


珠希が家を出て一ヶ月が経った。
信頼すべき兄が出て行った今は頼れる人はいない。
來羅は病気がちでこの頃家を出ることが出来なくなってしまった。
強くなるという珠希との約束を果たす為、舞姫は修行を始めていた。
主な修行相手は龍弥と拓人だった。
久しぶりに二人と遊びに出たとき、思わず話してしまったのだ。
言った後に心配しないで、と言ったが時既に遅し。
彼らも強くなると言い出した。
ハッキリ言って舞姫が二人の稽古をつけている様なものだが。
だが、そのお陰か二人もかなり上達してきた。
二人は武器を使っていた。龍弥は鞭で拓人は魔術。
拓人が魔術に失敗して町一つふっ飛ばしそうになったときは焦ったが。


「すごいな・・・人に稽古つけるのは初めてだけど、ここまでとは・・・」
「へっへーん!俺達が本気だってわかったろ?」
「舞姉の話聞いてふざけ半分で居る方がおかしいよ。そんな奴居たら殴り飛ばすし」


ニッと微笑みながら言う龍弥。
拓人は何だか最近少しずつ黒く染まってきた。


「さて・・・と」


そんな二人にニコリと舞姫は微笑み、構える。
この間、修行をしていた時・・・。
突然首筋にあった蓮のタトゥーが光を帯びたのだ。
それから今まで身体能力が高かった彼女は、更に身体能力が上がったのだ。
バック宙は勿論、テレビに出てくる体操選手顔負けのことまで出来るようになった。
まるで戦闘アニメの主人公の如く。
更に驚くことにそれから龍弥と拓人も上達が早くなり、ジャンプするだけで木の上に乗れるようになった。
最初は本当に驚いた。それと同時に少し怖くなった。
だが、自分が持って生まれたものなのだと考え、活用することにしたのだ。
舞姫は首筋のタトゥーに触れた。
するとタトゥーが光り出し、どこからか風が吹き、蓮の花びらが辺りに舞い始めた。
風に揺さぶられ、舞姫のオレンジ色の髪もふわふわと宙で舞う。


「紅葉」


舞姫がそっと呟くと、蓮の花びらが一点に集まり、長い棒のような形になった。
そして次に一瞬だけ光を帯びる。
光が引いた頃には蓮の華は一本の刀へと姿を変えていた。
それを握り締め、構える。
ザァッと木から落ちてきた葉が辺りを舞った。


「桃色鋭華」


まるで蓮の花びらそのものが生きているかのように、舞姫の言葉に反応した。
そして次にふわふわと宙を遊泳していた花びらは鋭く変形し、辺りを舞っている木の葉を容赦なく切り裂いた。


「・・・っと、まぁこんなモンか」


他にも練習中の技はあるが、とりあえずはこんなところだろう。
そういえば母さんに今日は早く帰ってくるように言われてたんだっけ。
ちらりと時計に目をやると、3時を回っていた。
朝からやっているし、もういいだろう。


「今日は終わり?」
「あぁ、また明日な」


舞姫は刀を仕舞い、上げていた髪を下ろした。


「俺もう少しここで練習してくわ」
「じゃあ僕も!」
「そうか?俺はもう帰るよ、母さんに言われてるから」


龍弥と拓人はもう少し練習をするらしい。
舞姫は「暗くなる前に帰れよ」と一言言うと、その場を去った。




「ただいま、母さん」
「お帰りなさい、舞」


家に帰ると、來羅は嬉々として料理をしていた。
今のところは具合は悪く無いらしい。


「それでね、帰ってきたばっかりで悪いんだけど・・・買い物に行って来て欲しいの」
「あぁ、構わないよ。何を買ってくれば良い?」


今の格好は買い物に行くには少し不向きだ。
舞姫は素早く着替えながら聞いた。


「欲しいのはここに書いてあるから・・・宜しくね」


パーカに袖を通し、出てきた手で紙を受け取った。
それを見ると書いてあったのは、キャベツとひき肉と・・・。
この材料には見覚えがある。


「ロールキャベツ?」
「正解♪」


來羅はウィンクをしながら答えた。
40近いというのにその行動が可愛らしくく見えるのは、きっと彼女の童顔のせいだろう。
実際、頑張れば30代前半・・・いや、20代後半に見えてもおかしくない。


「はい、お財布」
「ありがと」


渡された財布と紙をジーパンのポケットに突っ込み、スニーカーを履いた。
連絡用に携帯を借りて、それを財布を入れたのと反対のポケットに入れた。


「何かあったら電話してよ、母さん」
「それはこっちの台詞よ」


ニッとお互いに微笑んでから舞姫は家を出た。
彼女は気付いていない。
これが、來羅と交わした最後の会話になってしまうことに。




「お母さん・・・娘と暮らすようになって、6年も経ちましたよ」


仏壇に線香を上げ、火をつける。
手を合わせて、言葉を紡いだ。


「珠希を生んですぐにあの人がいなくなってしまったから、もう子供を産むことは叶わなかったけれど」


來羅の頭の中には笑顔の舞姫が浮かぶ。
「あの子は私にとって本当の娘です。どうか・・・見守ってあげて下さいね」


ギシギシと床を踏み歩く音が聞こえた。
足音は來羅がいる部屋の前で止まる。
舞姫だろうか。
何か忘れ物でもしたのかしら?
立ち上がって、襖を開く。
しかしそこには誰もいなかった。
途端、後ろに只ならぬ気配を感じて、來羅は振り向いた。
次の瞬間視界が赤く染まった。





「よし・・・買い忘れは無いな」
舞姫は手に握った袋の中身を確認して店を出ようとした。
その時。


「ねぇ聞いた?最近3丁目の辺りで人がどんどん襲われているらしいわ」
「犯人は刀のようなものを振り回しているんですってね」
「本当、物騒よねぇ」
「目撃者は皆被害に遭ってるのよね」
「えぇ。自分達の存在を隠してるみたいよ」
「暴力団や裏組織が引き金だって・・・・」
「(裏組織・・・?)」


そういえばまだ村にいた頃に聞いたことがある。
あれは屋根の上で昼寝をしている時だった。
人の気配で目を覚ますと、その近くで村人が2,3人で話していた。
組織自体の名前は忘れたが、この全世界を跨いでいる巨大裏組織があると。
そしてそれが最近動き始めたというのも。
舞姫は家までの道を歩きながら思い出していた。
田舎だったため、そんな情報が入るものかと信じてはいなかったが事実だったのかもしれない。
数分歩くと、家に着いた。
考え事をしつつ、チャイムを押す。
だが、中からの返事は無い。


「・・・母さん?」
具合が悪くなって寝ているのだろうか。
だとしたら少し急いだ方がいいだろう。
舞姫はポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。
その時、舞姫は家の窓が割れていることに気付いた。
それはまるで何か鋭利なもので叩き割られたようだった。


"刀のようなものを振り回しているんですってね"


最悪の事態が頭に浮かび、舞姫は差し込んだ鍵を乱暴に回した。
ドアを蹴り開けると、中へ足早に入る。


「っ!」


誰かが土足で入り込んだ形跡があった。
舞姫はゾッとしてドタドタと家の中を見て回る。
だが來羅の姿は何処にもなかった。
リビングにもキッチンにも寝室にも、ベランダにも。
あと思いつく場所は一つしかない。
和室だ。
あそこには來羅の両親、もとい祖父母の仏壇がある。
ここで過ごしていてあまり立ち入ることは無かった。
纏わりつく恐怖を振り払い、襖を開ける。
目に飛び込んできた現実に言葉を失った。


嘘、うそ、ウソ
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嫌だ嘘だ嘘だ嘘だ嫌だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嘘だ嫌だ嫌だ嫌だ嘘だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嫌だ嘘だ嘘だ嘘だ嫌だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嫌だ嘘だ!


來羅の元へ歩み寄り、そっと顔を覗き込む。
息もしていなければ心臓も動いていない。
信じられなかった。
受け入れられなかった。
信じたくない、受け入れたくない。
ドサッと膝から崩れ落ちる。
舞姫の瞳に移るのは、血だるまになって倒れこむ來羅の姿。
あまりに衝撃的過ぎて涙すら出てこない。
來羅の亡骸を舞姫は力いっぱい抱き締めた。
服や手がが血だらけになるがそんなの気にしない。


「母さん、母さん・・・ッ!!」


今頃涙が溢れ出てきた。
瞳から溢れ出てきた涙は舞姫の頬を伝い、來羅の頬に落ちる。
それから床に落ち、小さなシミを作った。
その冷たい頬が赤みを帯びることは無い。
もうあのぬくもりは帰ってこない。
生まれて初めて感じた"母親の愛情"・・・もう感じることは出来ない。


「あ、あぁ・・・うわぁあぁああぁああぁあああぁああぁぁ!!」


舞姫の叫びが、部屋に響いた。








何時間そうしていただろうか。

 誰だ・・・誰が、母さんを殺した?
 一体誰が、ダレが、だれが・・・!

窓の外からこちらを覗き込む人影があった。
そう、それは・・・黒いコート、Bと書かれた謎のマーク、武器・・・。
人影は満足げにニヤリと笑うと一瞬で姿を消した。

全てが一致した。
あいつ等が動き始めたという裏組織の連中。
そして今回の事件も、アイツ等のせいだ。
許さない、許せない。
アイツ等が母さんを殺した。
踏み潰してやる。
消してやる、全部全部全部全部全部全部!
來羅の体を抱き締める腕に力が入る。
その時、家の中を歩き回る足音が聞こえた。


「舞ー?」
「舞姉ー!」


龍弥と拓人だ。
とりあえず來羅をそこに寝かせて襖を開ける。
舞姫の姿を見た龍弥と拓人は目を見開いた。


「舞姉ッ?!」
「な、何があった?!」


それもそのはずだ。
今、舞姫は全身血だらけなのだから。
二人を見た途端、舞姫の瞳からは止まっていた涙がまた溢れ出した。


「龍弥ぁ・・・拓人ぉ・・・ッ」


とにかく誰かのぬくもりが欲しかった。
思わず二人に抱き着く。
服が汚れてしまうにも関わらず二人は抱き締め返してくれた。


「なぁ舞、一体何が」


言い掛けて龍弥は口をつぐんだ。
部屋の奥に來羅の姿が見えたのだ。


「とりあえず警察と病院に連絡しよう。舞姉、いい?」


こくりと舞姫が頷く。
数分後、救急と警察が現れた。
來羅が担架に乗せられて運ばれていくのを、舞姫は見れなかった。
今更病院に運んでも助からない。
もう何も戻ってこない。
涙はもう出なかった。
否、枯れてしまったのだろう。


「君、大丈夫かい?・・・おや?」


舞姫に声を掛けた警察が首をかしげた。


「君は確か・・・4年前に不審者を捕まえたというあの子かい?」
「え、あ・・・その、」


その言葉に辺りにいた人たちがぞろぞろと集まってきた。
大人たちが自分を取り囲むようにこちらを見てくる。
怖い。
純粋にそう思った。
やっぱり大人は、人間は、大きくて怖くて・・・ッ
思わず逃げ出したくなったその時。


「コイツはボロボロになった母親の姿を目の当たりにしてるんスよ。少しはコイツの気持ちも察してやって下さい」


後ろからふんわりと抱き締められる。
龍弥の声だ。
すると次に警察の人の声が聞こえた。


「そ、そうだな・・・すまなかった」


舞姫はふるふると首を振った。
そして誰にも気づかれないように龍弥の服を握った。
大人たちがぞろぞろと退散していく。


「大丈夫か?」
「うん、あり・・・がと」


微笑み返すと「無理すんな」と言われた。
そんなにぎこちなかっただろうか。
何だかもう、ワケがわからなくなってきた。


「今日は俺の家に来い。一人じゃ寂しいだろ?」
「一緒に寝ようよ!」


もう涙は出ないけれど


「ありがとう」


今俺は、泣きそうなほどに


「「どう致しまして」」


嬉しいよ。


少女は、母を失いました。
少女は、親友を手に入れました。







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