深夜2時。
星は姿を現さず、月は雲に覆われた、まさに闇と称するのが適当な夜。

そんな夜に怪しげな黒い影が動き出す。
人の形を模しつつも、まるで怪物のように凶悪な雰囲気を纏っているその影は、"異空間"に姿を現していた。
辛うじて雲の隙間から差し込む月明かりに照らされた街は、いつも真紀が戦っている明るい街とは懸け離れた、どこか危ない雰囲気を醸し出している。



「・・・・もう少し、もう少しだ」



影は、愁いを帯びた街並みを見下げつつ、ぽつりと呟いた。




――――――――――――



いつもと変わらない日常。
そこらにいる平凡な人たちからすれば、よっぽどスキャンダラスなどたばたライフに見えるだろうけど、今更俺にとってなんら不思議でもない、そんな毎日。

朝起きたら、傍で寝てるセドナと暁鴉の背中を撫でて、縹が早起きして作ってくれた朝食を食べて、3人に見送られて学校に行く。
稀に暁鴉が家をこっそり抜け出して、俺に会いにくるのも、まぁ慣れた。
そんな日の帰り道では人気の無い場所で暁鴉を肩に乗せて帰路に着くのにも、家に帰ったら縹のお説教とセドナが飛びついてくるのにも不満は感じていない。
あ、でもお説教のとばっちりが来るのは勘弁して欲しいとは思う。

初めこそどうしていいかわからなくて、まるで漫画の世界のような非日常に振り回されることもあったが・・・・。
今は一般世間から見る"非日常"は、俺としての日常と化している。
いわゆる"慣れてしまった"のだ。

だがこの感情は、"依存"しているとも表現できるのではないかと最近思い始めた。

もしもセドナ達の言葉がわからなくなってしまったら?
縹が故郷に戻ってしまったら?
暁鴉がどこかへ飛んでいってしまったら?
セドナが野良に戻ってしまったら?

一体、俺はどうなるのだろうか。
厄介だとか邪魔だとか思ったことはないが、最初は非日常に振り回されて倒れそうになることもあった。
確かに彼らと共に過ごした日は浅いが、既に彼らは俺にとってかけがえの無い存在であることに変わりはない。

俺の"日常"が、突然消えてしまうような日はいつか来てしまうのだろうか。
まるで夢の中のようにふわふわした現実味の無い毎日。
本当にコレは現実なのか、本当は夢の世界なのではないか、不安になってしまう。

だけど、いつも通りセドナと暁鴉の背中を撫でれば、嬉しそうに微笑んでくれる彼らがいて。
いつも通り、全く似合っていないピンクのエプロンを身に着けた縹が、朝食が出来たと知らせに来てくれる。

その光景を見れば、先程までの悩みなんて一瞬にして吹っ飛んでしまう。



「おはよう、皆」



口角が上がるのを自覚しながら、そう言葉を口にした。
すると、同じように挨拶が返ってくる。
だけど決してオウム返しなんかじゃなくって、確かな感情が込められた、彼らのちゃんとした言葉。

それが嬉しくて、俺はまた、もう少し口角を上げた。








リビングへ行って縹の作った朝食・・・フレンチトーストとオムレツを頬張っていた時。
物干し竿と物置がある小さな庭に出るための大きな窓の外に、小さな黒猫が姿を現した。

ぴたっと窓に張り付いて、こちらをじっと見つめている。
折角の可愛らしい顔が潰れてしまっていた。
まぁ潰れても可愛らしいものは可愛らしいのだが・・・。

その光景に驚愕した俺はフレンチトーストが刺さったフォークを口の近くで止めたまま、しばし硬直する。
だが、いくら潰れた顔も可愛いからといって、「あら、可愛い☆」なんて和めるわけでもなくて。



―――ど、どちら様ですかぁぁあぁ?!



間抜けに手足を精一杯広げて窓にくっついている猫は、俺から視線をずらさない。



「・・・・・・・」



どうしていいかわからなくなった俺は、とりあえず視線をずらしてみた。

すると、



『ってオイコラ、真紀ッ!無視すんな!』

「・・・・・・・リク?」



間抜けに(略)の正体は、羅衣の相棒・リクだった。

俺はとりあえずフレンチトーストを口に放り込み、フォークを皿の上に置くと、小さな庭へと続く窓を少しだけ開ける。
リクは小さく開いた隙間から器用に体を捻り込ませて家の中に入ってきた。

リクは入ってくるなり、腹が減った、と言い張り、俺の皿の上にあったオムレツを半分近く食い漁った。
満足げに膨らんだ腹を撫でながら俺の膝の上で寛ぐリク。
オムレツを持っていかれた不満も手助けをしてか、俺は若干怒りが滲んだ声でリクに尋ねた。



「・・・・・で、何で俺ン家に来たわけ?羅衣はどうしたんだ?」



しかし能天気なのかただのバカなのか、リクは俺の声に含まれる怒気を読み取れなかったらしい。
ほえ?と間抜けな声を出して寝ていた体を起こした。

そして、急に表情を曇らせて、深刻そうな声で告げる。



「羅衣が―――」

「・・・・羅衣が、何?」

「羅衣が、いなくなった」




―――――――――――――



暗闇に覆われた、何も無い空間。
唯一あるものとすれば、扉のように二つになった巨大な鏡だけだ。

その時、ギィイ、という鈍い音と共に、鏡の扉が開き始める。
扉の先は、渦巻きのように歪んでいて、別の空間へ続いている通信路。
やがてその中から黒い布に包まれた人がどさりと倒れこんできた。

床に放り出された衝撃によって黒い布が剥がれ、意識も戻ったようだ。



「ん、あ・・・・れ・・・」



黒い布に包まれていたのは、羅衣だった。

摩擦により乱れてしまった髪を直す余裕など無く、彼は困惑しつつそっと上半身を起こす。



「どこだ、ここ・・・」



その時、ふと背中に視線を感じた羅衣は、勢い良く振り向いた。

そこにいたのは、黒いフードを被った、小さな人影。
だが、フードの隙間から覗く口元が誰かに似ている気がした。



「誰だ?」



問いかけるも、人影は何も答えない。
やがて何も無いはずの空間に、一陣の風が吹き抜けた。

ひゅう、と吹き抜けた風は人影が被ったフードを剥がす。

そこで羅衣は思わず目を見開いた。

剥がされたフードの下から姿を現したのは、ついこの間久々に会ったばかりの、



「・・・・・真紀・・・?!」



フードの人影は、表情を変えないまま、ただ羅衣を見つめている。

真紀と瓜二つの彼は、明るく楽観的な真紀とは違い、一貫して冷たい無表情のままだった。
更に本物の真紀とは違う部分があった。

それは、髪の色と瞳だった。

本来の真紀の蒼が掛かった明るい色とは違い、まるで闇のように真っ黒な髪。
黒く澄んでいるはずの瞳は、濃い蒼でどこか濁っているように見える。

彼は足音を響かせながらゆっくりと羅衣に近付くと、彼の目の前にしゃがみ込んだ。
すると突然、無表情だった彼の顔が悲しそうに歪む。



「ッ・・・?」

「もうすぐ、もうすぐだ」




彼の手が、羅衣の頬に、そっと触れる。

その場にどさりと誰かが倒れる物音が響いた。




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