まだ太陽が活発に熱と光を発している、晴れやかな午後。
そんな外とは違い、どんよりとした空気が漂った部屋があった。
そこにいるのは不安げに眉を下げた縹で。
彼の視線の先にあるベッドには暁鴉と、僕、セドナが乗っている。
『はぁ・・・全く』
縹はそう溜息を零すと、手に持った包帯をしゅるりと伸ばした。
そして、ベッドの上で無理やり脱がされた服を抱き締め、ぶるぶると震えているマスターを見つめて、
『病人が増えただけではないか!』
「ひぅうっ!ごめんなさいぃ!」
激しい口調の縹だが表情は安堵に満ちていた。
どうやら彼も思っていることは僕と同じらしい。
『お主は人にどれだけ心配させれば気が済むのだ・・・』
「ほぁ?何か言ったか?」
『なんでもない』
「冷てぇっ!っちょ、何?!八つ当たり?!」
縹のぽつりと呟いた言葉は、良くも悪くもマスターの耳には届かなかったらしい。
尋ね返してきたマスターに、縹は傷でもない場所に消毒液をぶっ掛けた。
僕はその光景を見つつ小さく溜息を零しながら、記憶を掘り返す。
事の始まりは、恐らく1時間ほど前・・・。
怪物退治に出掛けたマスターを見送った後、僕は縹に連れられてベッドに戻った。
ベッドに寝かされ、頭に濡れタオルを載せられた僕は完璧に病人扱い。
まぁ確かに病人だったんですけど。
今回は足手まといになるのを恐れ、潔くマスターを見送ったが、実のところ不満が無いといえば嘘になる。
出会い方すら感動的なものでは無かったし、俗にいう"拾われた"だけなんだろうけど。
それでも、僕にとってマスターはかけがえの無い人物であると共に、大切な主人であることに変わりはない。
だから、本当は足を引きずってでも着いて行きたかった。
マスターの傍に居たかった。
だけど、僕のせいで誰かが傷付くのも、ましてやマスターに迷惑掛けるのも耐えられない。
悔しいがその時の僕にできることは無事を祈ることだけだった。
それから数十分後。
マスターはボロボロになって帰ってきた。
服は破けており、身体は血だらけで、脚を引き摺っている。
そんな酷い姿で帰ってきた。
だがマスターは嫌な顔一つせず、
「ただいま、セドナ」
にこりと、微笑んだ。
―――――――――――――
『本当に、お主という人は・・・危険だと思ったら逃げろと言ったではないか!』
「だ、だってぇ・・・思ったより強かったんだもん、逃げれなかったんだもんっ」
『問答無用』
「痛い痛い痛い痛いっ!もっと優しくして、縹っ!」
縹の看病のおかげですっかり具合が良くなった僕と入れ替わるように、マスターはベッドに寝かされた。
ビリビリに破けた服を脱がし、パンツ一丁にされたマスターは、消毒液をぶっ掛けられ、無理やり包帯を巻かれている。
一方、見ていることしか出来ない僕と暁鴉はハラハラ顔でマスターを見上げた。
腹部から胸部に掛けて包帯でぐるぐる巻きにされたマスターは半泣きで、
「セドナぁ・・・縹が苛めるぅ・・・!」
『怪我したマスターが悪いです』
「少しくらい労わって?!俺、怪我人だから!」
人をどれだけ心配させれば気が済むのか。
そう言ってやりたかったが、実際僕も熱で倒れ、マスターを心配させたはずだ。
お互い様だな、と考えて喉まで出掛けた言葉を飲み込む。
それから縹は温くなった水を取り替えるため、暁鴉を連れて部屋を出て行った。
すると部屋の中にいた人数は一気に減り、急に室内が静かになる。
さっきまで普通に会話をしていたというのにマスターは押し黙ってしまい、僕もどうしていいかわからなくなった。
何かあったのだろうか?
尋ねてみたいが、なぜか空気が許してくれない。
やがて、
「ごめんな、セドナ」
マスターは先程とは違う沈んだ声で、ぽつりと呟いた。
痛々しく包帯の巻かれた腕を伸ばしてきて、僕の頭を優しく撫でる。
「急にボロボロで帰ってきて・・・心配、したよな」
低く落ち着いた、だがどこか自分を責めるような声でマスターは続けた。
違う、違います。
マスターが謝る必要なんてない。
常に傍にいられなかった僕のせいなのに。
強くいられなかった僕のせいなのに。
声が出ない。
そんな僕の心境を知ってか知らずか、マスターはニカッと微笑んで、
「次からは俺も怪我しないよう気をつける。だから、セドナも自分を責めないでくれ」
『マスター・・・』
先程まで伝えたかった言葉はいつのまにか忘れていて。
ただ僕は、マスターに擦り寄った。
マスターは微笑んで、いつものように背中を優しく撫でてくれる。
それが、とてつもなく嬉しくて。
『もう僕、風邪引きません』
「それは無理があるだろ」
それから二人で、笑いあった。
マスターは僕の大切な人。
絶対に失ったりしたくない。
だから、
『僕を、ずっと、傍に置いて下さいね』
「ははっ・・・当たり前だろ」
―――――――――――――
『すぅ・・・』
「え、おい、セドナ?」
擦り寄ってきたセドナがハンパ無く可愛くて、これでもかというほど撫でてたら、彼は急に寝息を立てて寝てしまった。
それはそれで可愛いから別にいいんだけど、急に寝られたらびっくりする。
いくら猫とはいえベッドの上では寒いかと思い、そっと抱き上げて自分の隣に寝かせた。
彼の首のあたりまで布団を掛けてから、自分の膝にも布団を被せ、セドナの隣に座って寝顔を見つめる。
そっと手を伸ばして首の辺りを撫でた。
ふわふわした触感が心地良くて、思わず目を閉じる。
その時、手に巻かれた包帯が目に入った。
自分の手でありながら痛々しさを感じるのは、実際に痛いからだろうか。
刺さるような痛み、というよりジンジンと少しずつ痛む感じだ。
こりゃ風呂入ったら沁みるな、なんて考えつつ、左手で身体を支えながら右手を膝の上に置く。
胸元にも、相変わらず慣れない包帯の感触が。
「あーあ・・・明日学校なのに・・・」
実際、今日も学校だったのだが。
怪我をしたのは自分の不注意・力不足のせいなのだが、思わず怪物の姿を思い浮かべては悪態を吐く。
八つ当たりと言ってもいい行動だったが、そうでもしなきゃ気が紛れない。
そもそも途中で意識吹っ飛んだし、気が付いたら怪物倒されて消えてたし・・・・っつか、暁鴉はどうやって倒したんだろう。
まぁ、彼なら容易いか。
最初暁鴉に会ったときも鋭いくちばしで脳天貫かれたんだし。
あの時は危うく急逝するところだった、なんて呑気に考えながら、俺はセドナの寝顔を眺めるのをやめて布団に潜った。
「あ、気持ちい・・・」
布団は思った以上にふかふかで、待つまでも無くすぐに睡魔が襲ってきた。
包帯の巻かれた手で隣に寝るセドナをそっと抱き寄せ、目を閉じる。
擦り寄られる感覚に、更に心地良さを覚え、俺の意識はそこで途切れた。
――――――――――――――――
『主・・・只今戻り―――おや』
『あ?』
数分後に部屋へ戻ってきた縹と暁鴉。
二人は、仲良くベッドで寝入っている真紀とセドナを見て、数秒動きを止めた。
『寝てしまったか』
縹が苦笑気味にそう呟くと、暁鴉も小さく溜息を零す。
それから自分も眠いと告げて心地良さそうな寝顔を晒している真紀とセドナの間に、身体を滑り込ませると、
『ふぁ・・・』
欠伸を零し、自分の羽に顔を埋めて丸くなった。
数秒後には規則正しい寝息が聞こえてくる。
『・・・・・・我も、一休みしようか』
縹は押入れから毛布を取り出し、肩にかけるとその場に座り込んだ。
ゆっくりと目を閉じると、数分と掛からず寝入ってしまう。
静寂に包まれたその部屋には、小さな寝息が4つ、響いていた。