「っくそ、・・・!」
俺はそう悪態を吐いた。
手に持った黒い刃を中段で構えなおす。
今回の相手は兎を模ったような、耳が長く、目が赤い怪物だ。
実践慣れをしているようで刃を向けても怖気づくことは無い。
飛ぶ事すらしないが、やたら動きが早いため、かなりハイスピードじゃないと追いつけずにいた。
――真希、気ィ抜くな!
「わかってる、よ・・・!」
なか
身体にいる暁鴉にそう応える。
どんだけ頑張っても、スピードは相手の方が上手で、気を抜くとあっという間に回り込まれてしまうのだ。
避けるには間に合わないので、急いで反転して顔の前で刃に両手を宛がい、ガードの構えを作る。
先程から何度もその繰り返し。
吹っ飛ばされなかったのが奇跡なくらいだ。
今回、何回目かわからない攻撃が繰り出される。
太く巨大な手が振り上げられ――勢い良く振り下ろされた。
鈍い金属音が響き渡り、力比べが始まる。
というか、どうして相手は手を傷めないのだろうか。
理不尽だろうが、と考えながら、負けないよう力を込めていく。
――勝てそうか?
「いや・・・ちょっと、ヤバイ、かも」
その時、突然相手の力が一瞬だけ緩められた。
急な行動に驚いた俺は思わず隙ができてしまう。
勿論、それは意図的に行われたものであって。
「っくぁ・・・ッ!」
その隙を突かれ、下から振り上げられた太い腕によって、抵抗も出来ずに思いっきり吹き飛ばされた。
コンクリートの壁に激突した背中に鋭い痛みが走る。
ズズ・・・と音を立てて、若干凹んだ壁からずり落ちた。
その場に膝をつく。
「っ、つぅ・・・」
背中が寒い。
恐らく服が裂けてしまったのだろう。
おまけにまだ痛みが走るところから、破片か何かが刺さっているのも確かだ。
しかし、そんな事に気を取られている暇なんてない。
ぬっと視界が暗くなったと思うと、突然首の辺りを掴まれ、持ち上げられた。
しばらく空中にいたと思ったら問答無用でぶん投げられる。
投げられた先は、運悪くガラス張りの建物。
パリンッとガラスの割れる音がして、砕け散ったガラス細工と共に、建物の中に倒れこむ。
体中にガラスの破片が刺さった。
幸いにも、目には入らなかったみたいだ。
「いってぇ・・・」
――真希ッ!無事か?!
「あぁ・・・何とか、な」
だが、体力的には限界が近い。
しかし相手を捕らえられない上に追いつけないんじゃ話しにならないのも事実だ。
「どうすっかな・・・」
ふと考えて、辺りを見渡す。
その時。
ブゥンッと鈍い音が聞こえて、顔の横スレスレを何か固いものが飛んでいった。
驚いて振り向くと、怪物が鼻息を荒くし、巨大な岩を両手に抱えながら佇んでいる。
その様は、さながらホラー映画のようで・・・。
「最早ウサギじゃねぇじゃん・・・!」
――何ボケっとしてんだ、来るぞ!
勢い良く床を蹴って、第二発目を避ける。
またもブゥンッという音と、ドカッという壁にぶつかる音が聞こえた。
怪物は、近くにあったものをとりあえず拾っては投げていた。
オフィスにあるような机やら椅子やらが、本来の用途を失い、凶器として目の前に迫ってくる。
「っぶね・・・!」
飛んできた椅子を何とか避けた。
だが勢いがあり過ぎて、足首を捻ってしまったようだ。
それもかなりの痛みを伴い、その場から動けなくなる。
怪物の赤い目が、光ったような気がした。
やばい、と思った頃にはもう遅くて。
気が付いたら目の前に、"部長"と書かれたプレートが設置されている巨大な木造の机が迫ってきていた。
ぶ、部長に殺される・・・?!
『ッのバカ・・・!』
突然、耳元で声が聞こえて――次の瞬間視界が真っ暗になる。
柔らかい何かに包み込まれて、床に押し倒されて。
恐る恐る閉じてた目を開けたら、目の前には真っ黒い大きな丸い瞳があった。
「暁鴉・・・?」
『ボーッっとしてんじゃねぇよ』
なか
俺は、咄嗟に身体から飛び出してきた暁鴉の翼に包まれていた。
ふと横に目を向けると、粉々になった部長のデスクが・・・・。
「ぶ、部長ーッ!」
『うっせぇ、誰だ部長って』
「あうっ」
ペシッと額を叩かれて、後ろに仰け反る。
シリアスを吹き飛ばそうとした俺の懇親のボケは暁鴉によって無効化となった。
くそぅ、と忌々しげに叩かれた額を押さえながら改めて暁鴉を見つめる。
そういえば、巨大化した暁鴉を見るのって・・・初めてな気がする。
いつもの可愛らしいくりくりした目と、ふわふわした翼は変わらないが、身体は人間を一人か二人乗せられるほどに大きくなっていた。
『・・・・・・・・・・・何見てんだよ』
「いやぁ、やっぱデカくなっても可愛いなって思って?」
『殴るぞ』
小突かれただけで結構痛かったのに、殴られては堪らない。
今度こそお陀仏してしまう。
頬を赤く染めつつ青筋を浮かべながら拳を作っている暁鴉の脅し文句をやんわりとお断りして、ゆっくりと立ち上がる。
「そういや、ウサギは?」
『あぁ・・・アイツなら、さっきから隅っこで震えてんぞ』
暁鴉の視線を辿ると、建物の隅っこでガタガタと震えている怪物を見つけた。
赤い目を弱々しく潤ませるその姿は、普通のウサギとそっくりだ。
そういえば、と考える。
「ウサギの天敵って、鳥だったっけ」
『俺はカラスだぞ』
「鳥だよ、立派な」
確かに、"鳥"と一括りにされるのはあまり心地の良いものではないのだろうが。
そんなことも考えながら、どうしようか、と思う。
動物が好きな俺からすれば、隅っこで震えている小動物を退治するのは少々気が引ける。
『ウサギって・・・・美味いの?』
「知らん。喰ったことない」
『・・・・・・・・・・・・・・・お腹すいたな』
「く、喰うなよっ?!」
危険発言をする暁鴉に釘を刺し、ウサギに目を向けて―――もう一度ふいっと目を逸らす。
『どーした?』
「み、見つめられた・・・」
物凄いうるうるした目で見つめられた。
ど、どうしたらいいんだ・・・っ?!
あんな顔されたら余計倒すなんて出来な―――
『ッ!・・・こンのっ!』
「ぅおわっ?!」
隣にいた暁鴉が突然俺を鷲づかみにして飛び上がった。
ガラスに当たらないよう、上手く身体を左右に傾けながら建物の中から飛び出す。
「痛い痛い!暁鴉っ、つ、爪がっ・・・傷口に、刺さって・・・いたたたたたっ、イタイイタイイタイ!」
『っるせぇ、我慢しろ!』
先程怪物に吹き飛ばされた時に怪我をしてしまった背中に、爪が食い込んでハンパなく痛い。
こう、皮膚の下の肉を直接握られてる感じ。
とにかく説明できないくらい痛い。
このまま失神、いっそ急逝してしまいそうだ。
すると、次の瞬間。
怪物の呻き声に次いで、硬いものが崩れ落ちるような音と共に、建物が内部から吹っ飛んだ。
そして建物の中からは鼻息を荒くして目をぎょろりと動かした怪物が姿を現す。
それを見て俺は、少し前に雅也に見せられた某ハンターゲームにいる、ウサギに類似したモンスターを思い出した。
確かあいつは雪山にいて、地面を無理やり抉っては、氷の塊を飛ばして攻撃してくる奴だったはず。
おまけにペンギンのように腹で滑って突進してくるのが特徴だったような。
そんなことを考えながら怪物へ目を移す。
ふごー、と息を荒くしてこちらを睨んでくる怪物はやっぱり、
「こ、怖っ」
『・・・開き直ったか』
「開き直った、って?」
『腹を括ったんだよ』
こうなったら、と暁鴉は呟いて、俺を空中にぶん投げると、自分の背中に乗せる。
『落ちんじゃねぇぞ』
「が、がんばる・・・」
一気にスピードを上げて急降下を始めた暁鴉に、ぎゅっと一生懸命しがみ付く。
残念ながら、今の俺にはこれしかできなかった。
強い衝撃と一気に白くなる視界。
意識は、闇に飲まれた。