巨大な影に、追われる
どこまでも
どこまでも
その糸に絡め取られるまで
第拾漆章「珍獣」
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「もういいのかい?」
女将が宿屋の前で不安げに舞姫達を見た。
彼女達は既に旅支度が済まされており、それぞれ武器を携えていた。
あれから完治とまでは行かないが無事に回復した舞姫達は昨晩皆で話し合い、今朝旅立つことに決めた。
「お世話になりました」
「もう少し休んでいったらどうだい?」
「いえ・・・これ以上迷惑を掛ける訳にはいきませんので」
小さく首を振り、少しだけ頭を下げた舞姫に女将は名残惜しそうな視線を向け、にこりと微笑んだ。
「そうかい・・・また困ったことがあったら、いつでもおいで」
女将に手を振り、舞姫達はその場から姿を消した。
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数分後、森の中。
高い木々が並んでいるため、昼間にも関わらず森は薄暗く陰気な雰囲気を纏っている。
現在舞姫達は西側に位置する街にあった宿屋を出発し、南側へと進んでいた。
この国には多くの森があり、更にその中でも正式に名前がついている森は沢山ある森の中でも比較的大きな森とされている。
現在舞姫たちがいる森も国の中では一位二位を争う程の大きな森で、ここはその中でも一番神聖な森だともいわれている。
それもそのはず、この森の奥には祠があり、その祠にはアキラと呼ばれる神が住んでいると昔から言い伝えられている。
アキラとはこの国ではかなり代表的な神々の一人で、光を司っている神だ。
よく子供向けの御伽噺などにも登場しており、遥か昔にこの国が闇に包まれそうになったその時に、自らの身を投げ出して国を守った、とされている。
大人から子供まで語り継がれている神なため、信仰者もかなりの数を誇る。
信仰者が多い村や地域によっては祭りなどが開かれることもあるらしい。
更に、祠が森の奥にあるにも関わらず、毎回何ヶ月かの周期で巡礼者がこの森に訪れるという。
しかしこの森の規模はかなりのもので何度も森を訪れている巡礼者でさえも地図を持っていなければ、祠にたどり着くことは愚か、森から出ることも出来なくなってしまうらしい。
そんな風に迷ってしまうのは森の規模も影響されているのだろうが・・・。
年配の信仰者には、アキラの敵――国を闇で支配しようとした悪魔・アルウェードの仕業ではないかと伝えられていて、信仰者を自らの闇に飲み込もうとしているために森で迷ってしまうというような言い伝えもあるらしい。
「・・・というような話を聞いたことがある」
舞姫が歩きながらそう言った。
この森は通称・光の森と呼ばれている。
勿論、名前はアキラから来ているのだろう。
「にしてもおかしな話だね・・・」
「どうしてだ?」
拓人が腕を組みながらそう呟くと、舞姫は足を止めて振り返り、彼を見つめた。
先程の話にどこかおかしな点などあっただろうか。
自分的には神を信仰しているわけではないし特に興味は無く、ただ聞いた話なのだが・・・。
そんな風に思っていると考え込んでいる拓人は難しそうな表情のままぽつりと呟いた。
「だって・・・光の森って称されるくらいなんだから、この森は神・アキラの支配下にあるわけでしょ?それなのに信仰者がその敵である悪魔に惑わされるなんて・・・悪魔を易々と自分のテリトリーに入れる神様がいるモンなの?それとも悪魔は遠くから森に念力でも送ってるの?」
「・・・確かに、考えて見るとおかしな話だな」
それもそうだ。
神といわれれば誰よりも強く、力に満ち溢れている。
だが人々を愛する優しさも持っている・・・そんな印象を受ける。
そんな神が自分を信仰しに訪れた信仰者を、悪魔にくれてやろうだなんて普通は思わないだろう。
「・・・・さっぱり理解できん」
「我は関係ないからな、どうでもいい」
一方、龍弥と紅銀はそっぽを向いており、龍弥に至っては頭からぷすぷすと煙が上がっているようにみえる。
バカ過ぎるのも考えモンだよな、と龍弥が呟いたその時。
舞姫が突然顔を青くして、ピタリと足を止めた。
「?・・・舞、どうし・・・」
その様子を見た龍弥が不思議に思い、彼女へ歩み寄ろうとした途端。
―――シュッ・・・
「ッ!」
鋭い音がしたかと思うと、舞姫は素早く刀を取り出し、大きく横に薙いだ。
それと同時に強い風が吹き、風に翻弄されて薙いだ刀によって切り裂かれた"白いモノ"が辺りに舞う。
「これ・・・は」
龍弥が"白いモノ"を掴み、まじまじとそれを見つめる。
それには若干粘りがあった。
「・・・・・・クモの、巣・・・?」
「龍弥、ボケっとするな!」
「・・・うおっ?!」
突然身体が後ろに倒れ、龍弥は柔らかい感触に包み込まれた。
次の瞬間ベチャッというなんとも気色の悪い音と共に白く細長い物体が彼のもと居た場所に叩き付けられた。
龍弥が恐る恐るぎゅっと瞑っていた目を開けると目の前に移ったのは橙色の髪・・・彼を押し倒し、攻撃から守ってくれた舞姫だった。
彼女は眉を不満そうに上げ、龍弥を上から睨みつけた。
心成しか頬が少し膨らんでいる気がする。
「ボーっと突っ立ってんじゃない!死にたいのか?!」
「あ、いや・・・ごめん」
舞姫としては本当に気をつけてほしいという一心しかないのだが、純粋な少年心を持つ龍弥は想いを寄せる少女に押し倒され、思わず頬を染めた。
「二人とも何やってんの?!・・・あと兄ちゃん、さっさと舞姉から離れて!」
勿論そんな至福を長時間味わっている暇もなく、拓人の言葉で弾かれた様に舞姫は立ち上がり、それに続いて龍弥もヨロヨロと立ち上がった。
そしてそんな彼等の目に映ったのは、
「なッ・・・?!」
無数の白い糸を辺りに撒き散らし、獲物を捕らえるための罠を作り上げた巨大蜘蛛だった。
――――――――――――
「キモッ・・・何コレ!」
龍弥は思わず叫んでいた。
彼は比較的虫は大丈夫な方だったが、いつもみる小さな蜘蛛などとは比べ物にならないくらい、それは大きかった。
ある程度距離を保っていても、首が痛くなるほど見上げなければ全身が見えない。
6本ある足はせわしなく動き回り、丸々とした腹部、ぎょろりとした黒い目が気持ち悪さに拍車を掛けているように見える。
その時、
「"キモい"なんて・・・酷いなぁ」
突然辺りに響いた声の主は巨大蜘蛛の頭の上に居るらしい。
巨大蜘蛛の目の間に足を投げ出し、その足をぶらぶらと前後に揺らしながら不服そうに頬を膨らませた人物がそこに居た。
彼の髪が、急に吹いた風に揺らされる。
「ボクの、お友達なんだよ?」
舞姫はぞくりと背筋が凍るような感覚に囚われた。
――何だ・・・?
空が、雲に覆われた。
「これから君達はボク達と遊ぶんだ」
ぽつり、ぽつり・・・。
雨が降り始める。
「絶対に」
ゴロゴロ、という音と共に辺りが一瞬だけ暗くなった。
舞姫は身体に違和感を覚える。
――体が・・・動かない・・・?
「逃げられない」
もう既に舞姫達は、巨大蜘蛛の餌食となっていた。