幻想に、纏われて


夢を見る



何処までも深い、深い・・・夢を



蝕まれていく己に

気付くことは無く・・・






第拾捌章「蜘蛛」



―――――――――――



暗かったから、気付けなかった。

そんなの言い訳にしかならないのはわかっている。
だが過ぎたことを悔やんでも仕方ないだろう。



「ックソ・・・!」



舞姫は思わず悪態を吐いた。

胸元から腰の辺りに掛けて巻きついている拘束を外そうともがいてみるが、それが取れる様子は無い。
更に若干粘りがあるそれは、もがく度に身体にねっとりと纏わり付いて来る。

ふと辺りを見渡すと仲間達も拘束から逃れようとしているが、やはり同じように抜け出せないで居た。


そこで一旦抵抗をやめ、巨大蜘蛛の上で相変わらず足を前後に揺らしている人影を睨み付けた。
逆行を浴びているので顔は見えない。
だが影の体型から察するに、舞姫と同じか・・・少し幼いくらいだろう。



「逃げられないよ」



くすくすと笑みを零しながら人影はそう言った。
そして投げ出していた足を引き上げ、巨大蜘蛛の上に立ち上がり、くるりとその場でターンしてみせる。



「だって、ボクのお友達は凄いからね」



影の主の声はまだ幼く、小鳥のように高い声で楽しげに、



「何でも食べちゃうんだ」



顔色は伺えないが、その言葉からは残酷さも感じ取れた。

舞姫は背筋が凍るのを自覚する。
まるで死刑判決を下された罪人のように。



「どうしてお前は・・・俺達を、狙った?」



彼女は震える声でそう言った。

すると影の主はぴたりと動きを止め――巨大蜘蛛の上からひらりと身軽に飛び降りた。
張り巡らされた蜘蛛の巣を意図も簡単に避け、舞姫へと近付く。


「舞!」という龍弥の声が聞こえた。


やっと目が暗闇に慣れてきたようだ。
近くへと歩み寄ってきた影の主の顔が見えるようになった。


紫色の髪、青い瞳、長い睫毛、細い手足―――。

そして彼はまだあどけなさの残る顔でニコリと笑ってみせる。



「おにーちゃんがね、オレンジ色のお姉ちゃんを、」



月明かりに照らされた白い手が、舞姫の頬を撫でた。
それだけで舞姫は恐怖を覚える。
理由は、わからない。



「捕まえて、って・・・言ったから」



声のトーンが下がった。



次の瞬間、舞姫の意識は闇へと葬られた。




――――――――――――



何があった?

一体、あいつは・・・何をした?



龍弥は怪訝そうな目で舞姫にくっついて離れない少年を睨んだ。

少年が放った最後の言葉で、舞姫の瞳からは光が消え、次にカクンと項垂れて動かなくなってしまった。


舞姫を"捕まえる"ために来たのなら、少年はエアロやアン・エンの仲間のはず。
奴等の目的は舞姫の存在そのものなので殺すことはしないだろうが・・・。


―――どちらにせよ、このままじゃ危ない。


それは龍弥だけでなく拓人と紅銀も同じように悟っていた。
しかしわかってはいても、絡みつく拘束は簡単に外せるものではなく、どうにもできないのが現実だ。


どうしたらいい?

どうしたら・・・拘束から逃れて、彼女を救える?


次の瞬間、



「いい加減に・・・してよねッ!」



隣でなにやらブツブツとぼやいていた拓人が急に声を荒げた。
すると龍弥と紅銀の足元に魔方陣が浮かび上がる。

ブツブツとぼやいていたのは、呪文だったようだ。

龍弥がそう理解した途端、足元の魔方陣からは火柱が巻き上がり、一瞬にして拘束を燃やした。
しかしその威力は手加減されておらず、一緒に燃えることになる。

なんとか拘束からは逃れたものの、少し火傷をしてしまった。



「テメェコラ拓人!殺す気か?!」

「うっさいなぁ・・・さっき舞姉を襲ったから、その天罰だよ」

「明らかにオメーのせいだろうが!」

「貴様ら、兄弟喧嘩をしている余裕は無いぞ」



たちまち言い合いを始めた拓人と龍弥に、紅銀が静かな声で言った。
すると二人はすぐに静かになり、目の前を見据える。

少年は既に、舞姫を横抱きにして抱えている。
見るからに・・・今逃げようとしている最中のようだった。



「少し遊ぼうと思ったけど、やめとくよ・・・・お兄ちゃんに怒られちゃう」



にこりと微笑み、その場から去ろうとする。

勿論、拘束から逃れた龍弥達がそれを許すはずも無く――バシッと龍弥が手にした鞭をしならせた。



「逃がすかよ」



彼の瞳からは殺気が見て取れた。

しかし少年は怖気づく様子も見せずにふぅ、と小さくため息を零すと、気絶している舞姫を木の陰に横たわらせる。

そして、



「このお姉ちゃんを、お兄ちゃんの所まで運んで?・・・頼んだよ」



巨大蜘蛛の方を見ながら言った。

すると巨大蜘蛛はこくりと小さく頷き、しゅるりと舞姫に糸を絡ませると森の奥へと消えていく。



「ッコラ!待ちやがれ!」

「行かせないよ」



巨大蜘蛛を追いかけようと走り出す龍弥の前に少年が立ちはだかった。
彼は手足をいっぱいに広げ、行く手を阻もうとしている。

辺りには先程の巨大蜘蛛が残していった蜘蛛の糸が張り巡らされていた。
逃げる術は無い。



「強行突破するしかあるまい」



紅銀が小刀を手にしながら呟いた。



「ッチ・・・とっとと殺んぞ!」



今すぐに舞姫のもとへ駆けつけたい衝動を押さえ、龍弥は少年に突っ込んでいった。




――――――――――――





「ん・・・ぅ」



小さく声をあげながら、舞姫は目を覚ました。

途端、



「おはよう、お姉さん?」



その声で、夢うつつだった舞姫の意識は急に戻ってくる。
やはり夜なので暗いが、今度は月明かりがしっかりと当たっているので不自由は無い。


目の前に居るのは、先程の少年と同じ容姿を持った・・・やはり、少年だった。

紫色の髪、青い瞳、長い睫毛、細い手足。

瓜二つというか分身としか思えない少年には一つだけ違う点があった。


――髪が・・・短い


先程の少年は、男にしては髪が長かった。
しかし今目の前に居る少年は量こそ少なくは無いもののショートで、くせっ毛のようだ。



「ふふ、似てるでしょ?僕と、あの子」



心の中を読んだかのように、少年は言った。

思わず舞姫は胸の内で動揺する。



「赤の他人なのに、ね」



その言葉には若干憂いが含まれていた。
舞姫が怪訝そうに首を傾げたその時。



「余計なことを喋るな」

「はいはい。全く・・・連れないね、"お兄さん"」



無意識のうちに息をすることを忘れていた。
喉が詰まる。



――この、声は・・・!



木の陰から姿を現したのは――、




「兄貴・・・ッ!」




ザァッと強い風が吹いた。





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