沈んだ記憶は、戻らない



彼の瞳は光を失い

唇は言葉を零さない



女神が呼びかけようとも

彼の目が覚めることは―――・・・





第拾玖章「色褪」



―――――――――――――




舞姫は恐怖で思わず身を震わせた。

彼女を見下ろす青年の――珠希の瞳が、あまりにも冷たかったから。
昔の優しかった彼からは想像もできない程、酷く冷たい視線。

姿を見据えてこそいるものの、彼の瞳に舞姫の姿は映っていない。



「なん、で・・・・・・兄貴・・・っ」



ぽつりと零した言葉。
その言葉を発した舞姫の瞳は激しく揺れ、潤み、今にも泣き出してしまいそうだった。

珠希はそんな彼女を苛立たしげに睨み付けると、



「黙れ」



口調こそ静かだったものの、その声からは明らかに負の感情が感じ取られた。

思わず舞姫は口をつぐむ。



「俺を、兄貴と呼ぶな」

「・・・・ッ」

「俺はお前のことなど・・・知らない」



彼は無表情で、そう言った。

舞姫は何の反応も出来ず、相変わらず冷たい視線を送る珠希を見つめる。
やがて珠希は舞姫に興味を無くしたかのように視線をずらした。
すると舞姫も力なくカクンと視線を下に向ける。

その様子を見守っていた青年は、そんな舞姫に近づくと彼女の耳元に口を寄せた。



「お兄さん・・・記憶吹っ飛んじゃってるんだよね」

「き、おく・・・?」

「君が敵の前で彼のこと"兄貴"なんて呼ぶから・・・バレバレだよ?」



言葉に刺々しさはなかったが、明らかに彼はお前のせいだ、と言っているようなものだった。
その言葉で舞姫は更に表情を暗くする。

自分のせいで、大切な人の記憶が消えた。
たった一人の――兄の、記憶が。

すべて彼女のせいとは言い切れなくても、非がないとも言い切れず、その可能性は彼女の表情に影を落とすには十分すぎる理由だった。



「さて・・・そろそろ、君を連れて帰らなきゃ。彼らの始末も、終わった所だろうし」



少年が意味ありげに呟いた言葉で、舞姫は弾かれたように顔を上げた。
彼女の目はどういうこと?と言っている。

すると少年は不敵に笑って、君の仲間だよ、と言った。



「て、めぇ・・・・ッ!」

「あまり暴れると・・・締まっちゃうよ?」



舞姫は立ち上がろうとするが、いつのまにか手足は白い糸によって拘束されており、逃げ出そうともがく度、更にきつく締まっていく。
ギリ、と締め付けられる音が鳴り、舞姫は小さく呻き声をあげた。



「さて・・・抵抗されちゃ溜まらないからね。ここらでもう一回寝てもらおうかな」

「っく・・・!」



少年が手を振り上げたその時。

ドカッと鈍い音がしたが、少年の手が振り下ろされることはなかった。
衝撃によって倒れこんだ彼の上には先程巨大蜘蛛を操っていた少年が小さくうめき声を上げ、倒れている。
服はズタズタに引き裂かれていて、破けている服の隙間から覗く白い肌には血が滲んでいた。

そんな彼に追い討ちをかけるかのように、ピシャリと鞭をしならせながら、龍弥が長い髪を靡かせ、姿を現した。
その後ろには拓人と紅銀もいる。
三人ともある程度傷ついてはいるが、大したダメージは負ってないように見えた。

三人は舞姫を見つけると、心配そうに彼女の名前を呼ぶ。
そんな彼らに名前を呼ばれた舞姫は、視線をそちらに向けるものの、声は出せないでいた。
先程の少年の言葉―――事実があまりにもショックだったのだろう。



「テメェ・・・舞に何しやがった?!」



そんな彼女を見て龍弥が声を荒げるが、少年は怖気づく様子もなく、いったぁ・・・と頭に右手を置きながら、片手で上に倒れている少年を支え、起き上がった。

それからボロボロの少年をその場に寝かすと、ポンポンと汚れを落とす様に服を叩き、ふぅと溜息を零した。



「酷いなぁ、痛いようなことは何もしてないよ」



少年は笑みを絶やさないまま、



「ま、精神的にはどうかわからないけど・・・ね」



天使のような笑みの彼の口から紡がれた言葉は、まるで悪魔のような囁きだった。

それから少年はもう一度大きく溜息を零す。



「全く・・・もう少しで連れて帰れそうだったのに、仕事が増えちゃったじゃないか」

「ふんっ、俺らを舐めてもらっちゃ困るぜ」

「一人の少年に3人がかりってのもどうかと思うけど、まぁいいよ」



少年が表情をサッと鋭くしたのを見て、龍弥達は思わず身構える。

そんな彼らに構わず少年は服の袖の中へ手を侵入させ――数秒後に勢い良く手を引き抜いた。
その手には銀色に光るワイヤーが握られている。
あれが彼の武器らしい。

そんな少年の後ろでボロボロだった少年もやっと意識を取り戻し、起き上がった。
そしてその少年の手にもワイヤーが握られている。



「やっと起きたね・・・始めるよ、ソラ」

「わかったよ、カイト兄」



少年二人―――カイトとソラの唇が、怪しく弧を描いた。









その頃、舞姫は珠希の姿を探していた。

自由とはいえないが、身体が全く動かないわけではない。
首くらいなら何とか動かせる。

背後から龍弥達が少年二人と戦闘をしているであろう音が聞こえるが、今はそれよりも気になるのは珠希の方だった。
珠希はいつのまにか姿を消しており、気配すら感じ取ることができない。
だが遠くには行っていない、と考えて神経と五感をフル稼働させ、彼を探している。


どうしても、もう一度彼を見たかった。
あんなに怯えてしまったというのに。

いや・・・・怯えてしまったからこそ、認められなかった。
何かの間違いだと思いたかった。
もう一度自分の目で確かめたかった。

確かめる必要などないと、わかっているけれど・・・たとえ、それでも。



(俺にとっては、大切な――兄貴だから、)



突き放されようと、諦めきれないのが本心だ。
記憶喪失だといきなり宣告され、だからもう諦めろ、なんてあまりにも残酷すぎる。
いくら物分りが良くても、はいそうですか、などと言えるはずがなかった。

彼に記憶が戻るという確信はない。
だが、希望ならまだある。



(絶対、もう一度・・・笑わせてみせる)



あの優しい、大好きな笑みを・・・浮かばせてみせる。
あんな仮面を被った様な冷たい視線は嫌だ。



「なぁ兄貴」



思わず舞姫はぽつりと呟いた。

何を思ったわけでもない。
ただ、呼びかけるように・・・囁きかける様に。



「寝てるだけなんだろ?」



精一杯の、想いを込めて。



「だったら・・・叩き起こして、布団の中から引き摺り出してやるよ」



最後に、覚悟しとけよ、と呟いた。


それから少女は橙色の髪を風に遊ばせ――――立ち上がった。




―――――――――――




龍弥達は苦戦を強いられていた。

接近戦が得意な龍弥と紅銀にとって、遠距離攻撃が得意な少年二人を相手にするには、少し骨が折れるような戦いとなってしまっている。
唯一遠距離が得意な拓人も、二人が相手となれば術の発動が間に合わない。



「っくそ・・・チョロチョロと・・・!」



思わず悪態を吐いた龍弥。
そんな彼を狙い、月明かりに照らされて銀色に光っているワイヤーが伸びてくる。

反応が間に合わず、右手が絡まってしまった。

しまった、と思った頃にはもう遅く、追い討ちを掛けるかのように身体にワイヤーが絡み付いてくる。



「捕まえた」



カイトがニヤリと笑い、ワイヤーを握る手に力を込めた。
すると龍弥の身体に絡み付いているワイヤーがギリッと音を立てて締まり、彼の服と肌を傷つけていく。



「終わりだよ」



一層強くワイヤーを握り締め、その手を一気に引いた。

・・・だが。



「龍弥ッ!」



ワイヤーは龍弥を締め付ける前にブツンと音を立てて、切れた。

切り裂いたのは、



「舞・・・!」

「遅くなった、すまない」



力強く刀を握った舞姫が、そこにいた。



「へぇ、どうやって僕の拘束から抜け出したんだい?」

「んー・・・」



舞姫は少し考えるそぶりを見せてから、ふふっと微笑んで、



「気合、かな」



するとカイトも面白いね、と呟きながら笑い出した。



「そうだね・・・個人的にも、君が欲しくなっちゃったかも」

「言っとくが・・・安くないぞ?」

「それは楽しみだ」



舞姫の笑みに対抗するように、カイトもキレイな笑みを浮かべた。





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