只今の時刻・・・朝8時。
登校中の俺はだらしなく制服のネクタイを緩め、首もとの服を掴み服の中にパタパタと風を送っていた。
今は8月・・・。
つまり夏真っ盛りのこの時期。
この間までは気にならなかったのに今日はいきなり気温が高くなり、夏だということを思い知らされた。
「うえぇ・・・あっちぃ・・・」
朝から気温が高かったため、暁鴉もセドナも家でぐったりしていた。
まだ大丈夫だと思っていたが・・・あまりの暑さに耐えかね、面倒臭くて後回しにしていた扇風機を出した。
家にいる二匹は風に当たり涼んでいるのかと思うと、羨ましくて仕方ない。
その時ぽんと右肩が叩かれた。
自分でも驚くほどダルダルな動きで振り返ると、そこにいたのは爽やかな笑みを浮かべた和樹だった。
「よう、真希」
彼は俺の右肩に置いていた手を顔の横まで持って行き、そう挨拶をした。
「おぅ・・・和樹・・・なんでお前そんな元気なの・・・?」
「あっちぃからこそ、元気出るんだよ」
「・・・・・流石スポーツマン」
まぁ、簡単に言えば何事も考えようだっつーことだ。
暑いけどこの暑さが気持ちいいのかも、と思えば幾分かマシになるだろうか。
そう考え、ちょこっと考えを転換してみる。
「あ。ちょっと涼しくなった気がする」
「へぇ、良かったじゃん」
ニカッと和樹が微笑む。
うむ、爽やかだ。
ちょこっと真似してにこりと笑ってみる。
あ・・・何か気持ちいいぞ。
「そういえば雅也は?」
「アイツは・・・先に行ってるんじゃねーか?」
「ふぅん」
ま、学校に着けばわかるだろう。
俺は少しだけ涼しくなった心地よさに笑いながら和樹と学校までの道を歩いた。
――――――――――――
「まぁ〜きぃ〜・・・」
「何かこの台詞デジャヴ」
学校に着くと、暑さにバテてデロデロになった雅也が力なく机に突っ伏していた。
手には(暑さに耐えられなかったのだろうか)クシャクシャになったネクタイを握っている。
見ているこっちが暑くなりそうな彼の様子に俺は少しだけイラ立ちを覚えた。
だがそれよりも彼のあまりのバテ具合に同情してしまい、出かけた文句を直前で飲み干した。
「アイス食いたい〜」
「昼まで我慢せい」
「俺あと3秒で溶けそう・・・」
アイスが食べたいと駄々を捏ねる雅也に素っ気無く返す。
キレて反論してくるかと思ったが、最早彼にはその力すらも無いらしく小さく唸った後に再び突っ伏してしまった。
「おいおい・・・大丈夫かよ」
和樹が苦笑しながら雅也に声を掛けるも、帰ってくるのはぱっとしない返事ばかり。
ココまで来るといよいよ心配になってくるぞ。
「そーだ、良い事思いついた」
その言葉と同時に跳ね起きた雅也は俺とその隣に居る和樹にぐんっと顔を近づけ、
「海に行こうぜ!」
さも名案だと言わんばかりのドヤ顔で言った。
・・・ちょっとイラッとしたのは黙って置くとしよう。
――――――――――――
翌日。
「はぁ・・・今日も暑いな」
俺は昨日雅也・和樹と一緒に決めた集合場所で、Tシャツの袖を捲り上げながらぽつりと呟いた。
下手をしたら昨日よりも暑いかもしれない。
Tシャツの首元を掴み、前後にパタパタと扇いで風を送る。
こんなのじゃ全く涼しくならないが。
「ちょっと暁鴉・・・扇いでくんない?」
『無理に決まってんだろバカ!寧ろ一番暑いのはオレだ!』
『いや・・・結構僕も暑いんですけど』
俺は木陰でぐったりと寝転んでいた暁鴉に問いかけるが、拒否される。
・・・確かに真っ黒な彼等の方が暑そうだ。
昨日二人に泳ぎに行くと伝えた所、暁鴉は楽しそうだから、セドナは心配だからと同行することになった。
別にペット禁止などの規則はないし、構わないが・・・二人とも選択間違ってないか?
「別に帰ってもいいよ?」
二人にそういうと、同じタイミングでバッと顔を上げ、同じ動作で首を横に振った。
わぉ見事なシンクロ率、表彰モンだねこれは。
しかも可愛いと来た。
『いーや、ダメだ!オレは帰らん!』
『僕だって・・・常にマスターの傍に居るのが僕の役割ですから』
「・・・さいですか」
各自そう言った後、再びぽてんと倒れこんでしまうセドナと暁鴉。
―――いい加減見てるこっちが苦しいんだが・・・
そう思いながら、ごちゃごちゃに散らかったタンスから引っ張り出した腕時計を覗き込む。
今日出る前にテレビの時計を見て合わせたから、時間はズレてない・・・はず。
その時。
「おーい、真希ー!」
「ん・・・やっと来たか、雅ぶふぉッ?!」
俺は思わずその場でぶっ倒れてしまいそうになった。
目の前にいる雅也はなんと――――
―――海パン。
・・・・の上にパーカを羽織っているだけ。
靴も明らかにビーチサンダル。
「アホかお前は!」
「アホたぁ何だ、アホたぁ!コレが一番手っ取り早い格好だろーが!」
「バカ言ってんじゃねぇよアホたれが!恥を晒すつもりか!」
「バカとかアホとか、人を馬鹿にしすぎだこンのバカ野郎ーッ!」
ぎゃいぎゃいと騒ぎ立てる俺と雅也を、いつもの爽やかな笑顔で和樹が宥める。
勿論、和樹は普通のTシャツに七部丈のジーパンだ。
どうして雅也はこうなったのか。
「だって着替えるの面倒だろうがよ」
「バカたれ」
「てンめっ!」
「まぁまぁ」
これじゃあ恥ずかしくて街中を歩けたモンじゃない。
というか離れて歩いてほしい。
その時、雅也が俺の後ろを指差し、首を傾げた。
「お前、猫連れてきたの?」
「あ?あぁ・・・どうしても付いて来るって聞かなくて」
「ふぅん、珍しい猫だな。俺ン家の猫なんざ、今日も今日とて兄貴にべったりだったぜ」
このクソ暑いのに、兄貴の膝の上に居たし。
雅也が思い出しただけでも、とでも言いたげに手で顔を扇ぐ仕草をする。
こんなに暑いのに抱っこか・・・。
ちょっとキツいな。
その時、和樹が猫・・・セドナの隣に居る暁鴉に気付いたようで少し驚いたような顔をしていた。
「そのカラスは?」
「ん・・・っと、これは・・・」
少し説明に困ったが、とりあえず拾ったということで通すことにした。
怪我してるのを拾ってさ、と言うと納得してくれたようで、二人とも頷いた。
「結局は飼ってんだな?」
「まぁそうなるな」
二匹の方に振り向く。
まだ力なく突っ伏しているセドナ。
その隣に居る暁鴉がこちらを睨みつけていたが、面倒なので無視した。
「そろそろ行こうぜ」
雅也と和樹に声を掛けると、「おう!」と元気な返事が返ってきた。
それからセドナと暁鴉を呼んで歩き出す。
・・・・・途中セドナがコンクリートの上を歩けなくなった。
コンクリートが熱すぎて。
仕方なく彼を背負って歩くことに。
「暑くて死にそう」
『それはこっちの台詞です』
―――――――――――
数分歩いた後に、やがて姿を現した小ぢんまりしたバス停で更に待つこと数分。
数人しか乗っていない小さなバスに乗り込み、揺られること更に数十分。
やがて見えてきた青い海に俺たちのテンションは上昇した。
「やっべ、超キレーなんですけど!」
「早く泳ぎてぇ!」
「はいはい。わかったから座れ二人とも」
至って冷静な和樹が、バッと立ち上がった俺と雅也の襟首を掴んで再び座席に座らせた。
「他の人の迷惑になるからやめなさい」
「・・・はーい」
「・・・了解」
人差し指を立て母親のような口ぶりで注意をする和樹に若干引き気味で、俺と雅也は恐る恐る頷いた。
誰だコイツ、と思ったが言わないで置いた。
その時、車内アナウンスが入った。
"もうすぐ海岸前へ到着します"
"お降りのお客様は、準備をなさって下さい"
それを聞いた俺達はそそくさと荷物をまとめ始める。
どうやら海岸前で降りるのは自分たちだけらしく、他に準備を始めた客は居なかった。
まぁもともと乗ってる人数も少なかったし、当たり前といえば当たり前なのだが。
その後、バス停で止まったバスから降りる。
バスが発進し、見えなくなったのを確認してから背負っていたリュックを開ける。
中からは今にも死にそうな呻き声を上げて暁鴉とセドナが姿を現した。
・・・・勿論、空気穴は開けてたぞ?
フラフラとおぼつかない足取りで歩く二匹を気遣いながら、目の前に広がる青い海を眺めつつ道に逸れたところにある緑に侵食されている急な階段を駆け下りた。
実はこの階段が海に繋がる近道で、ここはちょっとした俺達の秘密通路のようなところだった。
大きな街に近いこの海岸は観光客が多く、毎年たくさんの利用客が訪れる。
足の踏み場も無いくらいにビニールシートとチェア、更にパラソルが置かれ、自分達の遊ぶ範囲は半径60センチあるか無いか――そのくらい込んでいる時期もあった。
そこで見つけたのが、この隠れ通路。
本来この海岸の駐車場や入り口に入るには、大きく西に迂回しなければならないのだが・・・。
この階段を使えばいち早く海岸に到着できるのと、潮が満ちていようが満ちていまいが、階段を下りて入る海岸と西から迂回して入る海岸を繋ぐ道は海に妨害され、西の入り口からこちらへ、またこちらから西の入り口に侵入することは出来なくなっている。
西の入り口から入る海岸よりは劣るものの、途切れていてもこちらの海岸もかなりの広さで、俺らみたいな少人数で遊ぶには少々広すぎる。
広々とした海岸から混雑している海岸を見るのも、また楽しかった。
こちらの海岸へと続く階段は生い茂った緑でカモフラージュされており、上り下りしている所さえ見られなければ探り当てられることも無い。
そもそも西から入る海岸とは逆・・・巨大な森がある東側から繋がっているため、まさかこちらから入れるとは思わないのだろう。
たまに泳いでこちらまで来る、という無謀な挑戦をしている人もちらほら見かけるが、これまでに挑戦して成功したのは2、3人程度だった。
勿論通路を知らない成功した人たちは帰りも同じように泳いで帰らなければ無いので、成功してももう一度挑戦する人は現れなかった。
諦めたりこちらを羨ましそうに見る人々にドヤ顔を向けるのが、俺と雅也の楽しみでもあった。
そんな俺達を和樹が注意するのも毎度おなじみの光景だ。
・・・・・・今、意地悪いとか思っただろ。
まぁ事実だけどな。
緑を掻き分けて進み、やがて見えてきたいつもの隠れ海岸。
去年と変わらず太陽の光を反射させ、キラキラと光っていたが、今回は一つだけ違う所があった。
『マスター・・・あれ、何でしょう』
「へぁ?」
俺はセドナが指差した方に視線を向ける。
海の少し沖のほうに群青色の何かが動いていた。
例えるなら鮫のヒレのような・・・。
「まさか、鮫・・・?」
「えっ・・・マジで?」
雅也と和樹が俺の言葉に弾かれたように振り返り、俺の視線を追った。
彼らの目にも"群青色の何か"は映ったらしく、何だか不安げな表情を浮かべている。
「でもその割には動きが・・・」
その時・・・突然"群青色の何か"はこちらを向きを変え――すごいスピードで向かってきた。
「ッ?!」
息つく間もなく"群青色の何か"は水に潜って見えなくなり、次の瞬間水しぶきを上げて水面から高く跳躍した。
跳躍した瞬間見えたしなやかな動きと、太陽に照らされて光っていた身体。
鮫なんかじゃない。
あれは―――
――――イルカだ。