『さてと、人間二人が帰ってくる前に動き易くするとしよう』
縹はそう言いながらゆっくりと目を閉じた。
俺はそんな彼が何をするのかとその様子を興味津々で見つめる。
考えることはセドナと暁鴉も同じなのか、好奇心に染まった目を縹に向けていた。
しかし数秒間、縹は何をするでもなくその場にたたずみ・・・・・やがてそっと目を開け、微動だにせず彼をじっと見つめていた俺達を若干睨み付けながら不満げに言った。
『目を閉じてはくれぬか・・・?』
「なんで?」
『人間化には集中力が必要となるのだ。そんなに見つめられては、集中できん』
そう話す彼は若干恥ずかしそうだった。
あぁ、なるほど。
人間化しようとしてたのか。
集中力が必要なのも本当のようだが、ほかにも理由があるように感じられるが・・・。
まぁいいか、と俺は呟き、彼の言葉に従って渋々目を閉じた。
『すまない、主』
その後、数秒の静寂と共に瞼の裏でまばゆい光を感じ――――たと思ったら、すぐに縹の『もうよいぞ』という声が聞こえた。
ゆっくりと目を開け、俺は目を見張った。
先程まで水に身体を浸していたイルカはそこにはおらず、代わりに水色と白が心地よく調和された着物を身に纏った青年が縹色の髪を風になびかせて砂浜に立っていた。
中世的な顔立ちと長い髪から女性に見えなくも無いが着物が男物なので、男だとわかる。
青年は男にしては長い睫をそっと伏せ、目を細めて笑った。
男の俺でも見惚れてしまいそうな、とても整った、綺麗な笑み。
もしも何も言われず急に人間化されたら、女だと思い込んでいただろう。
そのくらい綺麗だった。
「・・・・どちら様ですか」
俺は思わずそう聞いてしまった。
すると青年は少しだけ頬を膨らませるといった可愛らしい仕草をして、
『もう我を忘れてしまったのか?』
「・・・・ですよねー」
やはり青年は縹だったようだ。
イルカだった時の丸々とした可愛らしい印象とは違い、お淑やかな美しい青年となっている。
「にしても、ホント・・・全然印象と違うよな」
『・・・?』
「もうちょーっと、こう・・・真ん丸いイメージが――」
『ほぉう・・・?』
「うわ、ちょちょちょちょ・・・!ごめんなさいぃ・・・!」
思わずぽろりと本音を呟いてしまい、縹が(黒い)笑顔でこちらに近づいてきた。
――頼むから来ないで下さい、怖いです・・・
じりっと俺が一歩下がると縹は同距離近付いて来る。
『全く・・・主も困ったお人だ』
「へっ?」
『こんなに小さいとは・・・・可愛らしく見えて仕方ありませぬ』
「んにゃっ・・・?!」
思わず声が裏返った上、噛んだ。
こ、コイツ・・・今なんて・・・?!
確かに人間化したことによって縹の身長は思いっきり伸び、俺よりも頭一つか二つ分ほど大きい。
そのため、俺はどうしても見上げる体勢になってしまい、恐らく下から精一杯睨み付けても彼には効果が無いだろう。
というか彼に"睨み付ける"という技が効くかどうかがまず問題だ。
うろたえたり悔しがったりと忙しい俺を尻目に、縹の肩は若干震えていた。
『っくく・・・冗談だ。お主がおかしなことを口にしたものだからな、その仕返しだ』
「お前・・・ッ」
『にしても・・・あのような声を出すとは、予想外であった。ふっ、くく・・・!』
堪えながら笑われるのもなんだか気分が悪いので、いっそ大声で笑ってくれ、と言うとマジで笑われた。
・・・これもこれでムカつく。
「抓るぞ」
『いや、すまぬ・・・ッく・・・!』
「テメェこの野郎」
どうやらコイツは笑いをやめる気は無いらしい。
いい加減殴るぞコラ。
思わずぎゅっと拳を握ったその時・・・・岩陰から人影が姿を現した。
雅也と和樹だ。
「真希ぃー」
「おかえり。何か面白いのとかあったか?」
「いや、特にコレといった物は・・・あれ?」
二人は俺の近くに来るなり、後ろに居た縹に目を向ける。
彼らの目が明らかに"誰?"と言っていた。
「あーっと・・・この人は、」
どう説明しようか全く考えていなかった。
寧ろ、急に人間化されてこっちが説明してほしいくらいだ。
俺が返答に困っていると縹が一歩前に進み出て、
『彼の従兄弟の縹と申します。驚かしてしまい、申し訳御座いません』
そういい、綺麗にお辞儀をして見せた。
すると雅也と和樹は納得してくれたらしく、そうですか、と微笑む。
俺は思わず安堵の息を零した。
『この近くに来ると、昨夜彼から連絡があったもので・・・ここ最近会ってなかったからな、久々に会いにきたんだ』
そ、そこまで細かい設定を・・・?!
俺は若干驚いたが、確かに彼が考えたものは二人を納得させるには十分な理由だった。
でも昔の思い出とか聞かれてもわかんないぞ!答えられないぞ?!
縹と二人は最初こそ互いに堅苦しい喋り方だったが、段々と打ち解け、やがていつも通りの口調になっていった。
「にしても・・・お前、ホントに男?」
『そうだが』
「こんな女顔の男見たことねぇよ」
『それは、褒め言葉か?』
「いえす」
『嘘だな』
「いや、マジだって!」
特に雅也とはかなり打ち解けた様子だ。
ふざけ合い、たまに笑いながらじゃれあっている。
俺がさっき丸いイメージがある、と言ったら怒って仕返ししてきたくせに・・・なんだか不公平だ。
それにしてもなんだか違和感がある。
今までセドナや暁鴉の声は俺以外の人間には聞こえなかった。
なのに今度のヤツはいきなり人間化したと思ったら友人と楽しそうにしていて・・・。
なんだか、少し寂しく思った。
それと同時に微妙な苛立ちも覚える。
若干拳を握ったところで、ハッと我に返った。
親友の一人に嫉妬している自分が恥ずかしくなり、俺は楽しそうに話す雅也と縹からふいと目を逸らす。
『マスター?』
するとセドナがそれに気付き、近付いて来た。
俺の足に擦り寄り、こちらを見上げる。
口にこそしなかったものの彼の目は明らかに『どうしたの?』と尋ねていた。
俺はそんな彼になんでもないよ、と微笑みながら呟いてそっと立ち上がる。
全く、大人気ないな。
いいじゃないか、別に・・・。
どうせ家に帰れば彼らと一緒なのだから。
そう思うとなんだか気が楽になった。
少しだけ笑って、スッと立ち上がり、くるりとあたりを見渡したその時。
ふと違和感を感じた。
―――あれ・・・?
先程までの照り付けるような日差しがない。
太陽こそ姿を現しているものの、先程よりも何処か遠く、更には辺りが若干青く染まっている。
それに何だかひんやりと涼しい。
まるで水の中にいるような・・・・・・・・・。
「ッ・・・縹!」
『正解だ、主。良くぞ気付かれた』
俺は咄嗟に叫ぶと走り出し、同じように立ち上がって辺りを見渡していた縹の腕を掴んだ。
「わかってたのか?!」
『いや、我も今気付いた』
きっとここは異空間。
いつも俺が怪物と戦っている場所だ。
いつの間に引きずりこまれてしまったのだろうか。
縹は俺の腕を優しく振りほどき、今度は逆に手を握ってきた。
それはもう、男が女にするような優しい手つきで、包み込むように・・・。
思わずビクッと肩が跳ねた。
しかし次の瞬間、そんなことなどどうでもよくなるような可能性が俺の脳内に生まれる。
いや、可能性というか恐らく既に決定事項だ。
「雅也と和樹を・・・巻き込んじまった」
『それは致し方あるまい。彼等に危害が及ばぬ様、全力を尽くせばよいであろう?』
「万が一、ってのがあるだろ?!」
俺と縹の様子に首を傾げている雅也と和樹を横目で見ながら、怒鳴る。
しかし対する縹は至って冷静だった。
『主・・・"万が一"を怖がってはならぬ。万が一を起こさせぬためには、お主の冷静な判断と彼等を守りたいという一心が必要となるのだ』
その言葉で俺は衝撃を受ける。
確かに彼の言っていることは正しい。
気付かなかった、と思いながら微動だにしない俺にどう思ったのか縹は一呼吸置いて、
『それに"万が一"なんて、所詮は何万分の一であろう?怖がる必要などあらぬ』
ニヤリと不敵に笑って見せた。
なるほど、と俺は呟いて同じようにニヤリと笑う。
「・・・となりゃ、お前は全力でサポートしてくれんだろ?」
縹は一瞬だけ驚いた表情を見せたが、次に当たり前だと口にした。
とても心強い。
その時。
キシャアァアという・・・甲高いような、だが低い"何か"の鳴き声が聞こえた。
「・・・?!何だ、アレ?!」
そこにいたのは・・・巨大な、
「鮫・・・!」